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臨床動作法研修会に参加しました。

臨床動作法研修会に参加しました。

こころのイメージと現実との違いについて。

7月28日、29日はお休みをいただき、都内で行われた臨床動作法の研修会に参加してきました。

今回は講師の先生方との距離が近く、手取り足取りご指導いただきました。

そのなかで、特に印象に残ったことについて、ご紹介します。

 

臨床動作法では、言葉によるカウンセリングと違い、動くからだ、そのものにアプローチします。

それは、西洋の思想には見られないもので、東洋の文化だからこそ、見られるものなのです。

 

本来、私たちのからだは、こころが意図した通りに、からだもこころも、ひとつになって動くようにできています。

小さい子供の頃は、誰でもそうだったはずです。

筋骨格系に特別な問題がない限り、肩が上がらないとか、腰が痛いとか、そんなことはなく、だれでも、かつては自由に、こころの向くままに、からだを動かせたはずです。

 

ところが、成長するにつれ、私たちは自由なからだの動きを失ってしまいます。

成長の過程では、自分の欲求を我慢したり、衝動的な気持ちを抑えることを学ばなければなりません。

そのためには、満たされないこころの思いに対処するため、からだを緊張させることで、そのストレスに対応することを経験していきます。

社会的に適応するためには仕方のないことです。

 

ですので、決して、小さい子供の頃の柔軟性を取り戻せ、ということではありません。

ここで問題となるのは、大人のからだとして、本来動かせるはずのからだを動かせなくなっていることです。

人のからだには、肩関節、股関節など、各関節の可動範囲があります。

本来、からだの構造上は、誰でも、その可動範囲いっぱいに動かせるはずです。
例えば、臨床動作法の課題のひとつに、腕上げという動作があります。
今回の研修会で練習しました。
これは、立位でも座位でも、「前ならえ」の姿勢のように、腕を真っ直ぐ前に出した状態から、肘を伸ばして、肩を下げたまま、耳の横くらいまで、腕を上げるという動作です。
とても簡単にできるはず、です。
ところが、やってみると、案外できていないのです。
いつの間にか、肘が曲がっていたり。
肩をすくめてしまっていたり。
これが不思議なのは、自分の意識、つまり頭の中のイメージではちゃんとやっているのです。
やっているつもり、ではなくて、頭では、頑張ってやっているのです。
こんな簡単なことなんだから、できてるよ!と、信じて疑っていないのです。
ところが、セラピスト役の人に見てもらうと(つまり客観的に見てもらうと)、肘が曲がっていたりするのです。
頭のイメージと、実際のからだの動きが一致していない証拠ですね。

 

腕を上げる、という、子供でもできる簡単な動作をすることなのに、それさえ、頭のイメージ、つまり、こころの思いとからだの動きが合っていないのです。

極端な言い方をすると、自分が真っ直ぐに腕を上げたと思っていたのは、自分の妄想に過ぎなかった、ということです。実際の私の腕は真っ直ぐ上がっていませんでしたから。

 

実際やってみて、ふっと気付いたことですが、このことをもとに、日常生活を考えてみると、自分の視点が変わってきます。
やっている、完璧にできていると、思っていることでも、実際はどうなのか?
職場での作業でも、お料理やお掃除でも。
簡単な動作だと思っていても。
腕上げのように、自分の頭のなかの妄想かもしれません。
他の人の目から客観的に見たら、どうなんでしょうか?
私のこころのイメージ通りに、果たして私のからだは動いているのでしょうか?
自分もこんな調子ですから、他の人もきっとそうに違いありません。
私以外の研修会の参加者の方も、皆さん同じような感じでしたから。

例えば、お子さんに対して、「〇〇はちっとも言うことを聞かない」と思っていても、〇〇ちゃん自身は、頭のなかのイメージでは、言われた通りに、やっているのかもしれません。

実際のからだの動きがイメージ通りではないだけで。

 

こころのイメージと実際のからだの動きが一致していればいるほど、からだもこころも自由でいられます。

自分の意思やイメージと、現実に行われたこととの格差が小さく、周囲の環境と調和していられます。


 

臨床動作法は、まずは腕上げのような単純な動作から、自分のこころのイメージと、実際のからだの動きを一致させていこうとする試みです。

決して難しいことはなく、練習すれば、どなたでも、できるようになります。

実際に体験してみるとよく分かります。

 

腕上げでさえ、こころの思いとからだの動きが一致して、正確な動作ができると、何とも言えない達成感、解放感のようなものが感じられます。

自分のからだが自由に使える感じ。

私は、何かに奪われていたからだを取り戻したように感じました。

 

今回の研修会でのケーススタディにあったのですが、臨床動作法で、生き方さえも、変わる可能性があるのです。

改めて、人のからだの持つ素晴らしさを感じられた研修会になりました。

 

 

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