時熟ということ

「その時」が来るということ
時熟というのは、以前、精神分析を学んでいた時に、担当の先生からお聞きした言葉です。
(もともとはハイデガーという哲学者の言葉のようなのですが、詳しいことは分かりません。
ずっとカウンセリングをしていても、効果が見られなかったのに、ある時に、急に良い変化がみられるようになったクライエントさんのことを話してくださった時に、その先生は「時熟」とおっしゃいました。
すべて物事には、あるタイミングがあるということ。
果実が熟すように、ずっと何かを続けていて、ある時に変化が起こる。
その時に、その状況でしかありえないタイミングで。
ヨガでも全く同じなのですが、例えば苦手なポーズを練習していて、ずっと出来なくて、もうダメかな、出来ないのかな、と思った瞬間に、ふっと出来るようになっている。
私もそういう経験は何度もしています。

かつて、鍼灸の先生もこう言っていました。
「春に桜が、秋にコスモスが咲くように、それなりの時期というものがある。辛い症状も、その時が来れば必ず良くなるから」
近頃、この「時熟」という言葉が気になっているのです。
私が最近お会いしたクライエントさんも、セラピーを受け始めたのは、やはり「タイミング」だったのだな、としみじみ感じたり。
また別の方は、日常の人間関係で困っているのですが、その背景には、本来向き合うべき家族の問題が見え隠れしているのですが、まだそこにアプローチするタイミングが来ないでいるのだな、とか。
「時が熟す」と言いますが、こちらが無理にタイミングを合わせるというのではなく、自然に、「向こうから」その時期が来る、という感じなのです。
ですので、私がいつも思うのは、「今日は生きてみないと分からない」ということです。
昨日はその時期ではないけれど、今日はその時期かもしれない。
今日はまだ来ないけど、明日は来るかもしれない。
いつか、は分からないけれど、分からないからこそ、焦らず、待ってみる。
今の自分に出来ることをしながら。
長年、ヨガと心理カウンセリングを学んできて、何事につけて、そう感じるようになりました。
以前と比べて、焦ったり、結果を急いだりすることが減ってきたように思います。
ヨガでも、カウンセリングでも、何事もすぐに結果は出なくても、自分が真剣にやったことは無駄にはなりません。
必ずその時は来ますから。