人は死んだら終わり?

人は死んだら終わり?

肉体としては終わりだけれども…

こんにちは。

ゆいセラピーかぜのねです。

 

先日、あるクライアントさんとお話してから、しばらく考えていることがあります。

それが、「人は死んだら終わりなのか?」ということ。

 

また今日は、

わたしの祖母の命日なんです。

両親が共働きだったので、

わたしは半分以上祖母に育てられました。

だから、祖母というより、育ての母。

 

その為か、

 

亡くなってもう16年になるのですが、

「今どうしているんだろう」と思ったり。

急に亡くなってしまって、

ちゃんとお別れもできず。

 

死んだらどうなるか?

生きている以上、死ぬのは当然、だから考えても仕方ないから…と、

私たちはたいてい、日々の生活のなかで忙しくしていて、考えないようにしていることが多いと思います。

でも、ある時ふっと、あなたも考えることがありますよね。

 

答えが出る問題ではないかもしれませんし、どこかに相談しても解決するものではありません。

死んだらどうなるか分からないので、当然恐怖を感じます。

人は自分にとって未知なものに対しては、とにかくひどい恐怖や不安を抱くものです。

 

こちらの本、有名な児童文学ですが、私がこれまでに何度か読んでいるのですが、そのなかに、こんな言葉があります。

 

「もし人間が死とはなにかを知ったら、こわいとは思わなくなるだろうにね。」

この言葉は、主人公モモが、マイスター・ホラという登場人物と、人間の時間の源について語り合っている場面に出てきます。ホラは他にもこんな言葉を言っています。

「(人間は)死をこわがらせるような話のほうを信じたがるようだね。」

 

久しぶりに改めてこの本に目を通して、何も解決はしないけれども、どこか気持ちが穏やかになるのを感じました。


 私は、究極のところ、ただ生きて、死ぬ。ということそのものに、

計り知れない意味があると思っています。

 

人の命は儚く、

どんな偉大な偉人であっても、

確実に死を迎えますし、

いずれは人々の記憶からも消えていきます。

 

ヨガの教えでは、「次の呼吸があるかどうかも確実ではない」とされています。

それくらい、本当は儚いものなのかも。

 

だったら「死んだら終わり」かというと、私には全くそうは思えません。

 

誰かに知られていても、

知られていなくても、

全ての人が、この世界にやって来ては去っていきます。

 

去ってしまったからといって、

ある人が存在した、という事実そのものは、決して消えることなく、残っていくと思うのです。

 

例えばピアノの音のように、

次の瞬間にはもう存在していなくても、確かに「音があった」という事実は失われません。

 

どういう人生を送ったか、

何をしたか、しなかったか、

というレベルではなくて、

「生きた」「存在した」ということ、それ自体に全ての意味があるのだろう、と。

 

もちろん客観的な証拠などはありませんが、今まで多くの方にお会いしていて、私自身はそう実感しています。

 

 

 

<前のブログ      次のブログ>