先日、ヨガクラスの生徒さんといろいろお話をしていて、ふっとこんな結論?に至りました。
結局のところ、みんな自分の「思い込み」で世界を見ているんでしょうね・・・
本当に、「思い込み」って厄介なものですね。
今までのわたし自身の経験、そして、職業柄、こころの問題に悩んでいる方とお会いしていて感じるのが、究極のところ、
ということです。
天災、人災、自分災?
以前、あるインド人の先生からヨガの哲学を学んでいた時に出会った言葉を思い出します。
世の中には3つの災害と言うものがある。
①天災、②人災、③自分災。
この中で最も大変なのは。③の自分災だ。
この、もっとも恐ろしい災害「自分災」を引き起こす原因のひとつが、「思い込み」ではないでしょうか。
例えば、お仕事など「これなら完璧!」と思って頑張っていた。
ところが、ちょっとしたミスがあることが判明した。
または、ちょっとした周囲の人の言動が期待していたものと違っていた。
すると、「やっぱりダメじゃない」という声が自分のなかで聞こえてきて、せっかく前向きだった気持ちが急にしぼんでしまう。
他の人から「大丈夫、ちゃんと出来てるよ」と言われても、気持ちを切り替えられない。
それどころか、「なんで私はこんなに気分転換が下手なんだろう?」とさらに自分を責める。
落ち込む一方なのが分かっているから、せめて考えるのを止めようとする。
けれども、うまくいかない。
そこでまた「根本的にネガティブな性格だから・・・」とまたまた落ち込む。
こんなふうに「私はダメ」思考で、ずっと同じところをグルグル回っている感じ。
自分で自分を不幸にしているのが、心のどこかで分っているのに。
「思い込み」で死ねる?
人間は、自分の「思い込み」で死ぬことができる動物だと、わたしは思っています。
というのは、「思い込み」があるために、自分にとって必要なものを遠ざけてしまうことがあると思うからです。
人間は、大なり小なり「思い込み」を通して、世界を経験しているものです。
例えば、「どうせ分かってもらえない」という「思い込み」があったとします。
誰かに話を聴いてもらったとしても、「分かってもらえない」という「思い込み」から世界を見てしまっているため、ちょっと相手の表情が曇ったりすると、「やっぱり分かってもらえないんだ」と感じてしまい、「分かってもらえない」という「思い込み」が強化されていく・・・
ついには、もう誰かに話をする気力もなくなって、必要なサポートを得ることさえ難しくなり、事態はどんどん深刻に。
さらには自死を選ぶしかない、という結果まで引き起こす可能性だってあります。
「思い込み」という呪い
そして、この「思い込み」というのは、一種の呪いのようなものだと、わたしは考えています。
なぜなら、考えたくないのに、頭が勝手に考えてしまう。
聞きたくないのに、心のなかで「私はダメ」という声が聞こえてくる。
自分ではコントロールするのが難しい、半ば自動的な、ある意味、強制的な思考なんですよね。
自分の意思に反して、あなたが自由に考えることを邪魔している。
しかも、自分では「これは思い込みだ」と自覚していない場合も多いです。
だから呪いみたいだと思うんです。
例えば、「私は嫌われている」という思い込みを持っているとします。
ある朝、職場に出勤したあなたは、周りの人に「おはようございます」と挨拶しました。
ところが、同僚の女性たちは、仕事の準備をしながらおしゃべりしていて、挨拶をしてくれませんでした。
上司はパソコンの画面に向かって何かを入力していて、やはり挨拶をしてくれませんでした。
するとあなたは・・・
急に気持ちが落ち込んで、仕事をする気も失せ、泣きながら家に帰りたくなって・・・

結局、その日は1日中、落ち込んだ気分のまま仕事をして、当然、集中できないし、効率も上がらない・・・
家に帰っても、落ち込んだ気分が続いていて、どっと疲れてしまう・・・という状況に。
状況はそれぞれかと思いますが、こんなふうに、急に気分が落ち込んでしまう経験をされている方も多いのではないでしょうか。
「気分が落ち込む呪い」にかかっているみたいに。
「思い込み」を手放すには?
思い込みというのは、程度の差こそあれ、「~に違いない」「~でなくてはいけない」「~すべき」などと、頭から信じ込んでしまっている点が共通しています。
そして、思い込みの中には「何事にも努力すべき」など、プラスの面に働くものも多いので、自分では思い込みだと気が付かないこともあります。
どういうわけか、自分で自分を追い詰めているような、違和感のような感じや、心身に不調が出てはじめて、自分が思い込みに縛られて、自由に生きられなかったことが分かってくることさえあります。
わたしも長年、自分では思い込みとも思わず、当たり前だと思ってきた事柄がありました。でも、心底向き合ってみたら、事実はそうではなかったんです。
(このことはまた別の記事にまとめます。)
こんな思い込みを手放す第一歩は、自分のなかの「思い込み」に気付くことです。
客観的に観察すること
冒頭にも述べましたが、人は多かれ少なかれ、自分の「思い込み」で外の世界を見ています。
なので、「思い込み」という「呪い」を解くために、まず大切なことは?
上述した例ですと、あなたは周囲の人が挨拶を返してくれなかった時点で、「私は嫌われているに違いない」という呪いの言葉が聞こえて、すぐに「私は嫌われている」と判断してしまっています。
でも、客観的に周囲の状況を観察してみると、本当にそうでしょうか?
このケースでは、同僚はおしゃべりしていたため、あなたの挨拶が聞こえていなかったかもしれません。
上司は急ぎの仕事やトラブルの対応をしていて、あなたの挨拶に気が付かなかっただけかもしれません。
あなた自身の声量がたまたま小さかったのかもしれません。
思い込みかどうか分からない方も、急にネガティブな気分に陥ったときには、周囲の状況をよくよく観察してみてください。そして、その時のあなたの気持ち、身体の感覚など、「ご自分のなかで何が起きているのか?」を、丁寧に確かめてみてください。
「思い込み」は、自分のなかにあるものですから、ご自分で探ってみようとしない限り、思い込みを手放すことはできません。
どんな方にも、日常生活で、小さな出来事かもしれないけれど、急に気分が沈んだり、ストレスに感じたりする場面が意外とあるかと思います。
実は、それが知らないうちにあなたを縛る「思い込み」に気が付くチャンスです。
そのタイミングで「自分のなかで何が起きているの?」と観察してみることをお勧めします。
急に気分が沈む出来事があった都度、観察することを少しずつ繰り返していくと、何か共通する考え方や、行動パターンが見えてくるはず。
それが、「思い込み」という呪いです。
「思い込み」を疑う!
ご自分のなかの「思い込み」に気が付くことができたら、次にやることは、
「完璧でなければダメ」という言葉が聞こえたら、「本当に完璧でなくてはいけないの?」「なぜ、完璧でないとダメなの」「誰が完璧を求めているの?」など、ご自分のなかで問いかけてみてください。
もちろん、完璧であれば、それに越したことはないですが、完璧でなくても、世間一般的には十分通用するのではないですか?
そもそも、人間はみんな不完全で、必ず間違いをおかす存在です。
あなただけ、何の間違いもせずに、完璧でいるなんて、なぜそんな過酷な課題に取り組まなくてはいけないのでしょうか?
他の人達が、完璧でなくても許されているのに、あなただけ、完璧でなくては許されないのは、不公平ですよね。
例えば、「どうせ○○だから」「○○でないといけない」という、自分のなかで「呪いの言葉」が出てきたときに、とりあえず「本当にそうなの?」と一度疑ってみてください。
こんなふうに、あなたのなかで「呪いの言葉」が出てくる度に、その言葉を疑ってみてください。
ちょっと面倒な作業になるかもしれませんが、コツコツ続けていくと、いつの間にか、「思い込み」が和らいでいるのに気付く日が来ます。
わたし自身も、今なお事あるごとに、度々自分に問いかけています。
「もしかしたら、自分がそう思い込んでいるだけじゃないの?」と。
「思い込み」が厄介な理由
わたしなんかは、つい、そう思ってしまいます。
そのくらい、「思い込み」は根深い問題なんです。
というのは、思い込みは、自分の価値観とリンクしているから。
なので、分かってはいるけれど、なかなか手放すことが難しいんです。
「間違えてはいけない」と思うのは、自分が正解、つまり、正しい行動を取ることに価値がある、と信じているから。
「完璧でなくてはいけない」と思うのは、不完全なものはダメ、完璧なものにこそ価値があると信じているから。
「嫌われてはいけない」と思うのは、周囲に好かれていないと自分には価値がないと信じているから。
この思い込みの元になる価値観が形成される過程には、小さい頃の養育環境、あなた自身の性格、ご家族との関係など、様々な要因が考えらていて、いろいろな説があります。
(わたし自身は、単純に何かの理論で説明できるものではなく、その人独自の理由があると思いますので、一概に「性格だから」「親のせい」と決めつけることはしません。)

それに、冒頭お伝えしたように思い込みは半分自動的、強制的な思考だとお伝えしましたが、ずっとそれが当たり前になっているため、思い込みだと気付かないことが多く、なぜかモヤモヤするという形で感じられるだけことがあります。
それに、思い込みという「呪い」を発動させるスイッチのようなものが分かっていれば、多少コントロールしやすくなりますが、半分無意識での反応なので、どんなプロセスがあるのか、見えづらいことも、思い込みを手放すのを難しくしています。
無意識のうちに、そう思い込んでしまうわけなので、なかなか言葉で言い表すことができないため、カウンセリングでは改善しづらい場合もあるかと思います。
まずは身体への「思い込み」を解いてみる!
それでも、他にも方法はあります。
「完璧でなくてはいけない」と心で思い込んでいるのと同じように、ご自分の身体に対しても、「肩コリは治らない」「身体が硬い」などの思い込みをがありますよね。
まずは、この身体への思い込みを解くのです。
わたしのセラピーでは、ヨガで身体を弛めていただくのですが、
緊張して動かなかった肩や腰回りが、「あれ?」という感じで、動かせるようになると、ほとんどの方がぱっとお顔が明るくなります。
なかなか取れないと思っていた緊張が「ちゃんと緩んだ」ということを、現実のご自分のからだで実感していただいたからなんです。
「自分の意思ではどうにもならない」と思っ込んでいた、身体の緊張を自分で弛めること、つまり「コントロールすることができる!」ということに気付いた瞬間です。
心と違って、身体は正直です。
やれば必ず結果が出ます。
こんな例は、些細なことかもしれませんが、最初は小さな思い込みから少しずつ解いていくと、いずれ積み重なって、心の大きな思い込みまで解くことができるようになります。
このことについては、また別の記事で詳しくご紹介していきます。
ネガティブな思い込みに悩んでいる方は本当に多くいらっしゃいます。
ご自分の思い込みによって、「~してはいけない」とブレーキをかけて(いわゆるメンタルブロックというものですね。)ご自分の足を引っ張っていることがあります。
本来、もっと自由に、楽に生きる力をお持ちのはずなのに。
自分にブレーキをかけるというのは、もっと自由であるべき心の動きを無理に抑えているということでもあります。
なので強い思い込みがあればそれだけ、緊張も強くなります。だから、辛くなるんです。
ただでさえ、現在の社会生活は緊張の連続なのに、そのうえ強い思い込みを抱えていては、生きづらくなるのも当然のことです。
あなたの思い込みこそが、あなたの心や身体をモヤモヤさせている背景にあるのかもしれません。
「思い込み」があなたを縛り付け、自由が奪われているように感じるのであれば、まるで自分で自分に呪いをかけてしまっているようなものです。
でも、「呪いだ」と気がつけば、必ず解くことができますよ。
あなたはご存知でしょうか?
不安、うつ、トラウマ、過緊張など、こころの症状を、身体を整えながら、身体の側から改善していくことができるということを。
「心の問題には対話によるカウンセリング」というのが一般的な常識ですし、
わたし自身、臨床心理士として、カウンセリングの効果も確かにあると認めています。
けれども、カウンセリングでは、うまく話すことができないと、なかなか先に進めない、ということも事実です。
いくら相手がカウンセラーだったとしても、そんなにすぐに打ち解けて、自分のありのままを話すことなんて難しいですよね。
信頼できるかどうかも分からないし、不安ですよね?
カウンセラーと信頼できる関係を築くまでには、本当に長い時間がかかります。
そのため、カウンセリングで変化を感じる前に、続けられなくなってしまう場合が多いのです。
「カウンセリングがうまくいかない」と困っている方がきっとたくさんいらっしゃるはず。本当はそういう方こそ、心のケアが必要なのに。
そこで、「無理に誰かに話さなくても、心の問題を解決していける方法があればいいな」と、わたしはずっと探していました。
そこで、たどり着いたのが、身体を整え、身体の感覚に向き合うことで、心を整え、心の問題を解決していこうとする方法でのカウンセリングだったのです。
これから自分らしく生きるために、こころ、からだをケアしたい。
でも、カウンセリングでは難しい。
そんなあなたにこそ、かぜのねのカウンセリングをお勧めします。
ぜひ、一度試してみてくださいませんか。