雑記帳

あなただけにしかできないこと。

先日は父の命日でした。
毎年この時期になると、父のことに関連したいろいろなことを思い出すことが多くなります。

父は自称「鉄人」でした。
健康には絶大な自信があった人で、わたし達家族が風邪を引いていると、「たるんでるからだ!」と怒っていたほど。

ところが前立腺癌が発覚。
その後は手術、放射線治療、抗がん剤治療、ホルモン療法、果ては自由診療の免疫療法まで、可能な限りの治療を試しました。

ところが治療の効果はなく、あれほど強かった父があっという間に弱っていくのを目の当たりにして、漠然と、わたし自身、あれこれ思うことがありました。

「生きていくこと」「死んでいくこと」。
そして、これからの自分の生き方について。

そのためもあってか、当時、いわゆる「スピリチュアル」に関心を持つようになって、スピリチュアル系のセラピーやカウンセリングを度々受けました。

役に立ったことももちろんありますが、「何かが違う」という違和感というか、非常に納得のいかない結果になったこともあります。

今回いろいろ思い出したなかで、なぜ、そういう強烈な違和感を感じたのか、自分なりの理由が分かってきました。

また、「スピリチュアル」に関連して、今までお客様、生徒さんからもご質問を受けることがあり、やはりどこかで違和感を持っている方も多いように感じます。

そこで、今回は「スピリチュアル」について、わたしが今まで考えてきたことを、父のことを絡めながら、ここに書き留めておきたいと思います。

「高次元から」のアドバイス

今から10年以上経つことになりましたが、当時、とあるネットで見つけた「ヒーラー」さんのセッションを受けることになりました。

この方はご夫婦でスピリチュアルのお仕事をされていて、本当は奥様が担当しているヒプノセラピーのみを受けたかったのです。
が、なぜか、旦那様のヒーリングセッションがセットになっているメニューを勧められ、言われるがままに、それを受けることになりました。

それが…

霊界への通り道?

セッションルームに入り、旦那様である男性ヒーラーと向かい合って座りました。
すると彼はしばらくの間、呪文のようなものを唱えながら、しかめっ面をしていました。

そして、開口一番言われたことが、わたしの部屋のベッドがある位置にちょうど「霊界への通り道がある」ということでした。
なので、それを避けるために、「ベッドの位置を10センチでいいからずらしなさい」と。

「目が点」というのは、まさにこのこと。

まるで「おまじない」

さらに不思議なアドバイスは続きました。

ネガティブなことが頭に思い浮かぶと、それだけで全てに悪影響が出るとのこと。
それを避けるためには、普段から手首に輪ゴムをはめておいて、何かネガティブな思考が出てきそうな感じがしたら、その輪ゴムを弾いて気を紛らわすように。
そして、「ごめんなさい」「許してください」と神様に謝ること。

わたしが小学生くらいの時にやっていた「おまじない」の世界だな、と正直、感じました。

他にもいくつかアドバイス?をもらったのですが、詳細は覚えていません。
そのうちに、父の病気のことについて話が流れていきました。

「謝れば良くなる」

ヒーラーさん曰く、父の病気は、父自身が「なんで良くならないんだ」とか「なんでこんなことになったんだ」とか、怒りや嘆きの気持ちが出てくると、ますます悪化するとのこと。

まあ、「病は気から」と言いますから、そういう側面があることも事実ですが。

さらにヒーラーは、父がそういう感情を出した時には、わたしが父に代わって、神様に「父がこんなことを言ってごめんなさい」「許してください」と謝れば、それ以上悪くなることはない、と言うのです。

わたしは、どういうわけか、この場面で、このセッション中で最強の違和感を覚えました。
(このセッションでは最初から最後まで違和感だらけでしたが…)

スピリチュアルって特別なもの?

わたしは時折、スピリチュアルを仕事にしていたり、スピリチュアルに目覚めた、という方にお会いすることがあります。

そこでも、やっぱり、ある種の違和感を持つことが多いのです。

その方々に共通しているのは、スピリチュアル的な気付きを得たことを、必要以上に特別視していること。
または、まるで押し付けくるかのように、「高次元から」のアドバイスをしようとすること。

このヒーラーさんも、終始「自分の言う通りにすればうまくいく」的な態度でした。
自分だけが、「神様のお告げ」を聞くことが出来る特別な能力がある。
だから自分が教えた通りにやればいい。
とても支配的な雰囲気を感じました。

その後、奥様のヒプノセラピーも受けたのですが、こちらも期待外れというか。

黄色いTシャツを着た男性のイメージが生じてきたのですが、それが何を意味するのか、全く分かりませんでした。

前世であったことのはずだ、というふうに、セラピストは言うのですが。

このセッションは仕事帰りに受けていたこともあって、わたし自身の考えでは、当時の職場で対応していた男性利用者の方のイメージが頭の中に残っていて、それが出てきたのだろうとしか、思えなかったのです。
その方の対応で困っていたこともあったので。

人間の致死率は100%

わたしが神様に謝らなかったせいか、治療の甲斐なく、その後1年も経たずに、父は呆気なく逝ってしまいました。

「ああ、やっぱり人間って死ぬんだ…」
ただ単純にそう感じた記憶があります。

今、どんなに健康でも、絶大な権力があっても、莫大な財産を持っていても、幸せな家庭に恵まれていても、皆、いつかは死を迎えます。

悲しい事件が報道されるたびに、マスコミでは、「命の大切さ」が訴えられますが、決して、綺麗事ではなくて、わたし達が「死ぬ」ということは、必ず起こる現実なんですよね。

「メメント・モリ」

これは、「自分が死ぬことを忘れるな」というラテン語の格言です。
生きていくうえで、本当は、一番忘れてはいけないことは、遅かれ早かれ、「いずれは死ななくてはいけない」ということなのでしょう。

明日か、30年先か、誰にも分かりませんが、いつか、その日は確実に訪れます。

死んだら終わりなのか、その先に何かがあるのか?
それはいつの時代にも議論になることかと思います。

わたしとして生きるということ

ヨガの教えでは、肉体は滅びても、魂は永遠であるとされています。
仏教には輪廻転生という教えがあります。

わたしは死後の世界というものが、あっても、なくても、魂が永遠であっても、なくても、今生きていること自体に、十分な価値があると思うんです。

今あることに、計り知れない価値がある。
〇〇だったら幸せとか、〇〇がなければダメとか、条件付きのレベルではなくて、ただ、今、ここにあること。

それはなぜかというと、後にも先にも、今は今しかないからです。

たとえ生まれ変わることができたとしても、今のわたしでいられるのは、今だけです。

だから、世間一般から見れば取るに足りないことであっても、わたしとして生きていることは、わたしにしかできないことです。

同じように、あなたとして生きていることも、あなたにしかできないこと。

そこに、全ての意味があると思うんです。

3次元の世界で生きていく

いわゆるスピリチュアルな考え方では、この世界は3次元の低レベルの世界とされていて、4次元の高度な世界が優れているとされているようです。

なので、3次元の普段の日常生活のことは低次元だから二の次、瞑想などのより高次元なレベルのことを率先してやるべき、それが「スピリチュアル」的な生き方だ、と考えている方が多いように感じます。

わたしはこの考え方には反対です。

わたし達の日常の普段の暮らし、おにぎり食べているのも、掃除機かけているのも、バーゲン漁っているのも、電車でイラつくのも、全てに意味があって、本当は大切なものだと思うんです。

なぜなら、この3次元の世界で、肉体を持つということからしか経験できないことを経験する。
わたしとして生きている、この状況でしか学べないことを学ぶ。
それがこの世を生きる目的だと思います。

高次のレベルで生きるとは、3次元の肉体を持つことを軽視することでは本来ないはずです。
わたし達は、誰もがこの地球に、肉体を持って生まれてきています。

その肉体というものだけが教えてくれるものを、学びきること。
肉体を持つがゆえの、衣食住の泥臭さと向き合っていくということ。

そして、肉体つまり動物的な面を持ちながら、同時にスピリチュアルな存在、霊的な面をも持つ存在であるということ、この矛盾する2面を持つ存在として生きていくことではないでしょうか。

肉体とスピリチュアルとの両方のバランスを取りながら、全てを自分自身として、受け入れ、向き合って生きていくことだと思うのです。

神秘体験も日常生活も同じ価値がある

瞑想などを通して、いわゆる神秘体験をすると、まるで自分が特別になったかのように感じられる場合もあるかと思います。

けれども、わたしは神秘体験だけが尊いのではないと思います。
「そこからしか学べないことを学ぶ」という点においては、神秘体験であっても、日常の雑用であっても、その価値は同じはずです。

「身体を持つ」という経験は、後にも先にも、今だけしかできない貴重な体験です。
もちろん、わたし達は、肉体を持つと同時に、やはりスピリチュアルな存在でもあります。

だからといって、この現実世界に、地に足を付けて生活していくことを決して疎かにしてはいけないと思います。

時には崇高な存在を思うのも、逆に自分の中の衝動にそそのかされるのも、良し悪しではなくて、どれも同等に、全部引っくるめて「自分を生きていること」です。

高次の世界に行くことを急がなくても、時期が来れば、いずれは誰でもそちらに行くことになるのでしょう。
なので、決して生き急ぐ必要もないですし、あまりにも刹那的に生きることもありません。

今は、自分という存在が、自分の身体を持っていることを尊重すること。
そこに、全ての価値があります。

自分だけの苦しみを自分で苦しむ

あなたの身体はあなたのもの。
なので、あなたの身体の感覚は、あなたしか感じられないものですし、否が応でも、あなた自身しか、向き合えないものです。

先程のセッション中に感じた強烈な違和感の話に戻ります。

そもそも癌という病気と向き合い、病気になってしまった自分の身体の感覚と向き合うのは父の仕事です。
病気になったのは、わたしではなくて、父でしたから。

冷たいようですが、わたしが代われるものではありません。

父の苦しみは父だけのもの。
わたしの苦しみはわたしだけの苦しみです。

この世を生きることには、苦しみを経験することも含まれます。

苦しみそのものは、誰かに代わって向き合ってもらうことはできません。
自分だけしか、向き合うことができないんです。
誰もが自分の苦しみを、自分で経験しなくてはいけないんです。

だから、わたしが代わりに神様に謝れば、父の病気が良くなる、みたいに言われたことに、違和感を覚えたのだ、ということに、思い返してみて気付きました。

同じように、苦しみを抱えているという共通点

そのうえで、誰もがみんな、自分だけの苦しみに向き合っているという、まさにその点で、お互いを理解することができるのだろうと思うんです。

わたし達一人ひとりが、他人には決して理解されない苦しみを抱えて生きている。
その点においては、わたし達は共通しているからです。

今思い返すと、癌を患ってからも、父は一言も痛いとか、辛いとかいう言葉を発しませんでした。

父にしか分からない苦しみ、痛みがあったのだろうと、改めて思うんです。
癌になったということは、その背景には相当のストレスもあったのでしょう。
ただ、そんなことも決して父は口に出しませんでした。

当時のわたしが、もう少し、同じ苦しみを抱えている者として、父のことを考えてあげられていたら、と今更ながら反省しています。

自分から罠に引っ掛かった

そして、改めて思い返してみて、当時はわたし自身、仕事もプライベートも辛くて、相当弱っていた時期だったことに気付きました。

やっぱり心身ともに弱っていると、正常な判断ができない状態になります。

この時のわたしが、まさにそうでした。
ヒプノセラピーを受けたかっただけで、ヒーリングセッションは必要ないな、と分かっていたのに、勧められるがままに、十数万円のセッションを申し込んでしまったんです。

最初のアクションを起こしたのは、わたし自身なんですが、今考えると、知らない間にもっと騙されたり、惑わされりしていたかもしれません。

このヒーラーさんは霊的はものに対する感受性は高かったのでしょう。
けれども、感受性が強いからといって、ヒーラーとして優れているか、というと、決してそんなことはないと思います。

いろいろな「高次元からのアドバイス」をすることで、相手を不安に落とし込む。

わたしも半分騙されたような気がしつつも、何となく不安な気持ちが強くなって、しばらくの間モヤモヤしながら、実際に手首に輪ゴムを付けて弾いてみたりしていましたから。

今から考えると、なんでそんなことをしていたのか、自分でも不思議なくらいです。

大地に足をつけて生きる

昨今、生産性があるものだけが価値があり、非生産的なものは存在する価値さえ無いとするような風潮を感じることがあります。
一方で、衣食住に関わる日常のルーチンが軽視されている傾向もあります。

けれども、わたしは、ただ生きることだけでも、計り知れない意味があると思いますし、さらには死んでいくこと自体にも、同じように意味があると思うんです。

霊的なものも、肉体的なものも、どちらにより価値があるのか、比べること自体、無意味だと思うんです。

土台がしっかりしているから、上に伸びられる

ヨガの練習は、「土台を作ること」の大切さを教えてくれます。

より上に伸びようとするのであれば、背骨全体を真っ直ぐに引き延ばす力が必要です。
そのためには、足全体で地面をしっかりと踏みしめる力を強化していかなくてはいけません。

チャクラの活性化という点でも、大地に近い部分、つまり身体の下部のチャクラから順番に覚醒していく必要があるとされています。

大地にしっかりとグラウンディングできていない状態で、天に近い高次のチャクラを覚醒させてしまうと、精神的なバランスを崩し、重篤な事態になる場合もありえるそうです。
高次な学びを得たいなら、一層のこと、大地に足を付けておく必要があります。

本来は他の人とは比べられない

普段の生活では、つい、他人と比べてしまうこともあるかと思います。
容姿、性格、キャリア、財産、家族構成に至るまで、あらゆることが比較対象となります。

けれども、本来は他人と自分とは、比べようがないものです。
誰もが、自分だけの身体を持ち、自分だけの感覚に向き合っていくだけなんですから。

わたし達は、この世界に、自分だけの目的を持って生まれて来ています。
同じ社会で、同じように生活しているように見えますが、誰もが、目的も違うし、そもそも出発点も違うのです。
なので、他の人と比べることは意味がないのです。

自分だけにしか出来ない経験から学ぶ

そこでやっぱり大切なのは、毎日の生活のなかで、日常の泥臭さと付き合いながら、慌てず、焦らず、自分と向き合っていくこと。
それだけだと思うんです。

このことは、決して、特別なことではありません。
限られた人だけのものではありません。
特別な才能や能力は関係ありません。

普段の、いつもの、自分の生活のなかで、「自分と向き合う」だけ。
普段の生活のなかにこそ、自分の成長にとって必要な気付きは与えられます。

今のこの自分自身でしか経験できないことを、経験することが、わたし達がこの世界で果たすべき役割であり、仕事であると思います。

ABOUT ME
Chisako
臨床心理士・公認心理師・ヨガインストラクター。元社労士。 こころとからだのことで悩んでいるあなたに、わたしの今までの学びがお役に立つと嬉しいです。 根が不器用な自分を認めて、ただシンプルに生きるのが信条。
あなただけに合ったヨガを学んでみませんか?

あなたはご存知でしょうか?

本来のヨガには、身体と心の不調を癒していく効果があります。
欧米では、そんなヨガが医学的治療の一部として、疾患の予防、ストレスケア、メンタルヘルスの向上、リハビリなどにも役立てられています。

一般的に知られていないことですが、ポーズが出来ても、出来なくても、ヨガの効果とは全く関係ありません。

なぜなら、ご自の内面に集中して、意識してからだを動かすこと自体に、あなたを癒し、変えていく力があるのです。
身体を整えることで、脳や心がリラックスし、結果として心身のバランスを取戻していくことができます。

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