身体から心へ

閉ざされていた気持ちに気付くとき

数年前のことになりますが。
ヨガをやっていて、自分の身体のなかに、すごく緊張している部分があるのに気が付きました。
みぞおちの左側あたり。

その部分の、ずっと深いところを緩めるように、呼吸しながらポーズを取っていたら、
急に怒りの感情が湧いてきて、ふっと、父がわたしに手を上げた時のことが思い出されてきたんです。

なぜそうなったのか?
改めて冷静に思い返してみても、わたしに非があるというより、単に父が気に入らなかったから、という理不尽な理由としか考えられませんでした。
なので、怒りが収まらないまま、ヨガマットを敷いた床をバンバン叩き続けてしまいました。

しばらくすると、さすがに怒りが鎮まってきました。
そこで気を取り直してヨガを再開してみたら、みぞおちの緊張が緩んでいたんです。

やっぱり心身一如だ!

改めて実感する出来事でした。

「心で処理できないストレスが身体に溜まっている」

ヨガでも、ボディワークでもそうなんですが、身体の緊張がゆるむと、ふっと涙が出てきたり、怒りや悔しさ、喜びなどの感情が湧いてきたり、急に過去のことを思い出したりすることがあるのです。

このことは、わたしに限ったことではなく、少なくとも、クライアントさん、ヨガ講師仲間も、同じような経験をしている人がたくさんいます。

身体を動かしただけなのに、なぜそうなるの?

 

心と同じように、身体もストレスに反応し、感情を味わい、物事を記憶します。
心が発散できないストレスや、抑圧した感情や、切り捨てた記憶などを溜め込んでしまうように、身体も、ストレスや感情、記憶が溜め込まれているんです。

 

Chisako
Chisako
ちょっとビックリされるかもしれませんね!

 

どういうことか、詳しくお伝えしていきます。

からだはこころで、こころはからだ。

日常、分かりやすい例を挙げますと。
心理的に強いストレスを感じていると、体調も悪くなるということは、大なり小なり、どなたもご経験されているのではないでしょうか。

大事な会議などで緊張するとお腹の調子が悪くなったり、すごく悩んでいるとひどい頭痛がしたり、心底驚くとパニック症状のようになったり。

ストレスに対して、心も身体も、同時に反応しているわけですよね。

もともと東洋医学においても、心身一如という考え方があります。
「からだとこころは一体のものである」という意味です。

そして、身体へのアプローチに基づいた心理療法である臨床動作法では、「心で処理できないストレスが身体に溜まっている」
とされています。

ところが、身体と心が一体になって経験するのは、ストレスに限ったことではありません。日常生活の全てにおいて、本当は、身体は身体として、あらゆることを、心と一緒に経験しているのです。

身体にも過去の感情や古い記憶が溜まっていく

その前に、わたし達が心の働きである感情や記憶などを抑圧しているメカニズムについて触れておきます。

わたし達は、社会的な生活を送るためには、ストレスと無縁ではいられません。

人間には、本能があり、食事や排泄にまつわる動物的な欲求があります。
そういう欲求は、どんなに高度な教育を受けても、どんなに高度な文明が発展しても、生き物であるがゆえに、無くならないものです。

ところが、ご自分のお家で過ごす時でさえ、そういう動物的な欲求を100%満たすことはできません。

ちょっと汚い例ですが、例えば、排泄のためには、自宅にいてもトイレに行くまでちゃんと我慢しますよね。
これが生まれて間もない赤ちゃんや、野生動物だったら、決してそんなことはしないで、したくなったら、いつ、どこでもしますよね。

けれども、わたし達は、成長する過程で、社会的な生活に対応していくために、トイレに行くことを学んでいきます。
言い換えると、自分の動物的な欲求を抑えて、「トイレに行く」という行動を選択して実行しているんです。

このことは、トイレに限ったことではなく、他の社会生活上必要なことに共通します。
学校など集団生活を始めると、自分の動物的な欲求を抑えなければならない場面ばかりです。

さらには、こういう動物的な欲求だけではなく、集団の規律を維持するため、相手との関係を保つため、本音では感じていることなのに、感じたくないと思った感情や、持つべきではないと判断した感情を、その記憶と共に、自分の心の奥底に押し込んでいるのです。

赤ちゃんの頃から、わたし達は、繰り返しそういうふうにしていて、もはや、ほとんど無意識でやっているので、普段意識することがないだけなんです。

わたし達人間は誰でも、さまざまな感情、欲求や記憶などを、日常生活を送るうえで意識しないように、無意識のうちに抑圧しながら生きています。

なぜ、抑圧しなければならないかというと。

わたし達の心は本当はそれはそれは膨大な働きをしています。
その心の動きを全て認識していたら、それだけで大変なエネルギーを使うことになります。
なので、わたし達が普段の生活で意識できる感情は、ほんの一握りなのです。

その抑圧された心の動きのなかには、取るに足らないものや、あまりにも些細なものがあって、そういうものは自動的に抑圧されて、全く支障がないものが大半です。
でも、なかには、本来持つべきだった感情や、味わうべきだった気持ちまで、無理矢理抑圧されてしまっているものもあります。

その、感情を無理に抑圧することが時として問題になるんです。

ネガティブだけれど自然な感情

大事なものを傷つけられたら怒る。
自分にとって不快なものを嫌がる。
愛していたものが失われたら悲しむ。

こうした感情は、ネガティブな感情として、避けられる傾向にあります。
けれど人間として、誰もが感じるはずの、自然な感情ですよね。
そして、誰もが、他の人や自分自身に害を与えない限り、どんなにネガティブな感情であっても、自由に感情を持つことを許されているはずです。

ところが、例えば「怒ってはいけない」という「思い込み」を持っていると、本来怒るべき場面に遭遇していても、自分のなかに無理矢理怒りを押さえ込んでしまうことがよくあります。

また、あまりにも強すぎる感情は、その感情に飲み込まれそうになって、自分でも認識するのが怖いので、「一旦保留」みたいな感じで、あまり感じなくてもいいように、やっぱり心の奥底に抑圧されてしまいます。

「相手を傷つけるから怒ってはいけない」という考え方がベースになっている方が多いとは思いますが、「ご自分のなかで怒りを感じること」と、「その怒りを相手を傷つける形で表現すること」とは、本来、全く違うことです。

ただ、日常いろいろな出来事を経験して、喜怒哀楽いろいろな感情を持つことは、人間として自然な在り方です。
そうした、本来、味わってもいいはずの感情を、必要以上に無理に抑圧してしまうことが問題なんです。

なぜなら、心身の不調を招く可能性があるからです。

溜め込まれた感情が、身体と心を緊張させる

本来持ってもいいような、自然な感情を閉じ込めて感じないようにするためには、心は相当なエネルギーを使います。
小さな箱に、大きな風船を押し込むイメージですかね・・・(わたしの主観ですが)

そして、前述の通り、身体と心は本来一体のものですから、心が自分のなかに持ってはいけない感情を閉じ込めていくプロセスを、身体も同じように経験しているんです。

つまり、満たされない欲求、封じ込めた感情や気持ちは、その記憶と共に、わたし達の身体のあちこちに溜め込まれているわけです。
身体をぎゅっと緊張させることによって。
心に閉じ込めたのと全く同じように。

誰でも赤ちゃんの頃は身体が柔らかくて、緊張や痛みも無く、身体を自由に動かせますよね。
ところが年齢を重ねていくほど、心、そして身体に溜め込まれるものが多くなるので、身体が緊張し、痛みが生じて、動きが悪くなるわけです。

本来外に出したかった「何か」を、無理に閉じ込めようとしているのために、当たり前ですが、心も身体もずっと緊張してしまいます。

そのため、身体では筋肉のコリや痛み、動き辛さが発生し、心では気分が落ち込む、モヤモヤする、焦りや過度の緊張感などの症状が出ます。

その結果、そうした心と身体の緊張が、自律神経の働きを阻害すると、身体、こころ、またはその両方に、さまざまな不調が出てきてしまうということ。

身体がゆるむと心もゆるむ

説明が長くなりましたが。

こういうメカニズムで、身体には、ストレスだけではなく、さまざまな過去の感情や古い記憶が溜まっているということ、
そして、それが筋肉の凝りや緊張、動かしづらさとして現れているということをご理解いただけたかと思います。

なので、ヨガなどで身体の緊張がほぐれていくと、それが心にも作用して、心の緊張が解かれ、閉じ込めておくしかなかった感情が甦ってきます。

この、無理矢理抑圧した感情に気付くことが、心身の不調を解消していくきっかけになるのです。

自分の感情に蓋をして、自分のどこかに閉じ込めてしまうと、それはモヤモヤした状態のまま、溜まっていってしまい、心身の緊張がずっと続いてしまいます。

しかし、感情というものは、一度ちゃんと認識して向き合っていくと、少しずつ薄らいで、心のなかで、あるべきところに、自然に収まります。
無理に閉じ込めるというのではなく、ちゃんと整理された状態で保管され、やがて時期が来ると忘れ去られていきます。
溜まったままになることはありません。

そうなると、心は無理に感情を押さえ込む必要がなくなるので、そのことにエネルギーを使う必要がなくなって楽になります。
もっと自由に、もっと創造的なことにエネルギーを振り向けることができるようになります。

身体も同じように、緊張することがなくなると、本来の自由な動きを取戻します。
凝りや痛みが軽くなり、身体を楽に動かせるようになります。

もちろん心身の不調も和らいでいきます。

いわゆるカタルシス効果もありますが

普通、感情を解放するというと、不安や怒りといったネガティブな感情を、言葉にして話すことで、その感情が和らげられ、気持ちが落ち着いてくる(カタルシス効果)ことが一般的なイメージかと思います。

心理カウンセリングもそうですし、普段の生活では、家族やお友達に愚痴を聞いてもらってスッキリした、という経験がまさにカタルシス効果です。

けれども、それが可能なのは、自分でちゃんと意識して言葉に表すことができる場合です。

半分無意識のうちに、自分のなかに閉じ込めてしまった感情を言葉にすることは難しいものです。
たいていの場合、閉じ込めた感情というものは、曖昧で、何かのイメージのようにしか感じられないことも多いものですし、そもそも自分が感情を抑圧していること自体に気付かないものです。

しかし実際、多くの方は、そういう閉ざされた感情によって、何となくモヤモヤしたり、気分がスッキリしない、なぜか分からないけれど急に不安になったりすることで悩んでいらっしゃるのではないでしょうか。

そんな言葉で表現するのが難しい閉じ込められた感情を、身体の緊張や塊を癒していくことで、解放していくこともできるのです。

身体をゆるめることで、感情を抑圧していたことに気付く

わたしは以前のブログ「もう永遠に手に入らないもの ~母との関係~」のなかで、
ヨガや操体法をやっていて、身体の感覚に意識を向けていた時に、ふっと、それまで閉じ込めていた感情が甦ってきたということに少し触れました。

わたしも、もちろん、自分が感情を抑圧していたことに気付いていませんでした。

ところが、身体を動かしていくと、昔見た景色のイメージが浮かんだり、過去に味わった、さまざまな感情が湧いてくることが今なおあります。

かつての自分が、処理しきれないまま、心と身体に溜め込んでいた「何か」が、ちゃんと出てきて、こころに甦って、こころがちゃんと認識すると、からだはふわっと緩んで、気付くと緊張がほぐれているのです。

意識できる感情は実は少ないもの。
無意識のうちに、抑圧している感情の方がはるかに多いものです。

わたしの身体の緊張している部分には、閉じ込めてしまった感情や古い記憶がまだまだ溜まっていのでしょう。
これから何度もこういう経験を重ねていくのだと思います。

また、わたし自身は、ヨガをしながら浮かんできたイメージや感情を、ノートに書き留めておくことにしています。
後から読み返して、「このからだの緊張は、あの時のことが原因かも?」など、自分のなかに目を向けていると、自分でも分からなかったことが、霧が晴れるように少しずつ見えてくることがあります。
そうすると、ほっとするというか、とても穏やかな気持ちになれて、身体の方のコリや緊張も和らいでいくのが分かります。

少しずつですが、抑圧された感情を取戻して、自由になれている実感があります。

もし、あなたが、心身の不調に悩まされているのであれば、こういう抑圧された感情が一因かもしれない、と疑ってみても良いかもしれません。

ABOUT ME
Chisako
臨床心理士・公認心理師・ヨガインストラクター。元社労士。 こころとからだのことで悩んでいるあなたに、わたしの今までの学びがお役に立つと嬉しいです。 根が不器用な自分を認めて、ただシンプルに生きるのが信条。
あなただけに合ったヨガを学んでみませんか?

あなたはご存知でしょうか?

本来のヨガには、身体と心の不調を癒していく効果があります。
欧米では、そんなヨガが医学的治療の一部として、疾患の予防、ストレスケア、メンタルヘルスの向上、リハビリなどにも役立てられています。

一般的に知られていないことですが、ポーズが出来ても、出来なくても、ヨガの効果とは全く関係ありません。

なぜなら、ご自の内面に集中して、意識してからだを動かすこと自体に、あなたを癒し、変えていく力があるのです。
身体を整えることで、脳や心がリラックスし、結果として心身のバランスを取戻していくことができます。

「ヨガをやってみたいと思っていたけど、まさか自分がヨガなんて?」と、
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