雑記帳

終わりのない自分を生きていく

わたしは数年前に、ちょっと不思議な、ある体験をしました。
それをきっかけに、生きていくこと、死んでいくことについての考え方が大きく変わりました。

その経験をここに書き記しておこうと思います。

ただ、とても感覚的な体験でしたし、わたしの語彙力の無さもあり、言葉で表現しきれていない部分があるかと思います。

そして、あらかじめお断りしておきたいのは、このことは、決して特別な経験ではない、ということ。
わたしが普段の生活の中で経験した事実です。
スピリチュアル的な覚醒だとか、オカルト的にどうこう言われるものではありません。

それに、心理やヨガの仕事をしていますと、スピリチュアルなものというのは、決して特別なことではないというふうに感じます。

スピリチュアルというと、ある種の特別な能力のある人だけのもの、
特別に繊細な感覚を持つ人だけのもの、
秘境のパワースポットのような特別な場所に行かなくてはいけないもの。
そんなふうに思われがちですが、わたしは全く逆だと思います。

仕事とか家庭とかごく普通の生活のなかで、本来は、日常生活の泥臭さとスピリチュアが共存すべきものだと思っています。

というのは、心のことを深く語る時、避けては通れない話題なのです。
今まで、たくさんのクライアントさんのお話を伺ってきましたが、お話が進んでいくと、必ずと言っていいほど、スピリチュアル的な要素が出てきます。

前置きが長くなりましたが、以下、わたしのある体験をシェアさせてください。

2016年9月のある水曜日のこと

朝から日差しが強く、まだ残暑が厳しい日でした。
当時、ヨガインストラクターになりたてだったわたしは、仕事が休みの日は、朝から夕方まで代々木にあるヨガスクールでヨガを学んでいました。

1回80~90分のヨガクラスを1日3回受けるんですが。
その日も午前中からはじめて、15時から3クラス目のレッスンに参加しました。
そのレッスンの最後に、それは起こったのです。

ほとんどのヨガのクラスでは、一番最後に「シャヴァアーサナ」というポーズをとることが多のですが、これは通称「屍のポーズ」とも呼ばれていて、仰向けに横になって完全リラックスするものです。

このクラスでも、最後の締めは屍のポーズでした。

↓ こんな感じ。

1日中、かなりハードな内容のヨガを練習していたし、まだ暑くて、わたしはぐったり横になりました。
先生の「ゆっくり呼吸していきます」という声が聴こえていました。

すると・・・突然、それは起こりました。

意識が急に吹っ飛んだんです。

その後、ふと気が付くと、周りは真っ暗。
全く記憶がないんです。
自分がどこにいて、何をしていたのかも、分からなくなっていました。

・・・ここはどこ?
家ではなさそう。
今何時だろう?真夜中みたい。
どうしたんだろう???

何となく分かってきたのは、どうやら深く眠っていたらしいこと。
そして、二の腕あたりがスースーして肌寒い感じ。

ぼんやりしたまま、記憶をたどっていくと。

あ、ヨガやってたんだっけ…
え?
じゃあ、今って何?

・・・訳が分からなくて、ちょっとしたパニックに。

クラス中じゃないみたいだけど・・・
いつの間に終わったんだろ?
・・・もしかして、寝ちゃってそのまんま?
スクール閉まって真夜中に取り残されたとか?
なんで誰も起こしてくれなかったんだろう?

ちょうどその時、周りの暗闇がうすぼんやりと明るくなってきて、
ヨガマットの上で仰向けのポーズをとっている、わたし自身の姿が見えました。
自分の頭の少し上の位置から見下ろしている感じです。

そっか、ノースリーブ着てるから腕が寒かったんだ

と妙に納得していると、先生の声が。

「そろそろクラスを終える準備をします。手足をゆっくりと動かして…」

は!?

その瞬間、意識が戻りました。

体外離脱体験だったらしい…

何が起こったの・・・?

ぼーっとしながら、先生の指示通り、恐るおそる胸に手を当てて、呼吸を確かめて・・・少しずつ身体を動かしていきました。

ちゃんと生きてる・・・みたい。
今のは一体何・・・?

その日はそれから何だか夢うつつのような感覚がしばらく続いていました。
あまりにも不思議。
でも、確かに体験したという実感がある出来事でした。

後になって、やっぱり気になって、あれこれ調べてみたところ、
どうやら、一時的に意識が肉体を離れてしまったらしい。
体外離脱体験をしたようだ、ということが分かってきました。

そこからハッキリと分かったこと

体外離脱みたいな、そんな状態になっても、からだの感覚がちゃんとあった、ということ。
そのことが確信できました。

「二の腕がすーすーする」という、この身体の感覚は、普段の生活で感じる感覚と全く同じものでした。

意識が肉体を離れていても、日常で感じる感覚と全く同じ感覚を感じることができた、ということは、その感覚を生み出す「何か」が、肉体とは別に確かに存在していたということです。

そして、「なんだこれー!?」みたいに思考していた主体である「わたし」という意識も、同様に、存在していたということになります。

言い換えると、からだの感覚の源となるもの。
わたしという意識の源。
つまり、「わたし自身の根源」というべきものは、肉体を離れても、ちゃんと存在し続けていたんです。
それを魂と呼んでもいいのかもしれませんが。

身体の感覚があったからこそ

ネットで調べた限りの範囲ですが、体外離脱すると、確率は低いのですが、肉体に戻れなくなる可能性があるらしいのです。

わたしの場合は、身体に確かな感覚があったので、再び肉体に戻ることができました。
「スースーする」なんてありふれた感覚に過ぎないけれど、もしかしたら、
こんな身体の感覚がなければ、ちゃんと肉体に戻って来れなかったかもしれません。

そう思うと、改めて、生きている身体そのもの、命というものの力強さみたいなものを、しみじみ感じないわけにはいきません。

この時のことを思い出すと、今でも、からだの感覚が本当に愛おしく感じられます。
身体の感覚には、もちろん痛みとか、嫌なものもありますが、その時のわたしにとっては、自分が今いるべき場所を教えてくれるものだったのです。

身体の感覚は、時には暴走してしまうこともあります。
わたし自身、そんな身体の暴走に悩まされた時期がありました。
それでも、わたしにとって、当時も、そして今でも、自分が向き合うべきものを教えてくれるものでもあるのです。

からだがあるから、わたしは、今のわたしでいられるんです。

死んでも終わらない「自分」というものがある

この経験から、おそらく、自分というものはずっと続いていくのだろう。
そして、自分から逃れることはできないのだろう。
そう確信するようになりました。

「自分の感覚」を生み出す源が確かに存在している。
その自分の感覚の源こそ、わたしという意識、命の根源で、魂と呼ばれているもの。
やっぱり、それは実際にあるんです。

そして、それは、肉体、つまり自分の普段の身体を離れても、「わたし」のままあり続けている。
ちゃんと存在するものなのです。

現実世界では、身体と心は一体です。
あなたも、わたしも、肉体である体と、脳の働きでもある心はセットになっていて、この世に存在しています。
やがて、肉体は死を迎え、同時に心の働きも止まります。
でも、その二つが無くなっても、「自分の源、自分の根底にある何か核のようなもの」は無くなることはないんです。

生と死は紙一重

そして、もう一つ、確信したのが、生きると死ぬは紙一重だっていうこと。

あの時、「スースーする」という感覚がなければ、もしかしたら肉体には戻れなかったかもしれない。
だから本当に生きていることと、死ぬことの境界線っていうのは、普通に思っている以上に曖昧で、それほど大きな違いがないものなのかもしれないっていうふうに、漠然と感じるようになりました。

ヨガの教えでは、「本来人間の命は、次の呼吸があるかどうかも確実ではない」とされています。
この体験をするまでは、仏教的な思想だな、と知識として頭に入っていただけなんですが、この教えが真実だということを、自分の身体で実感しました。

昨日元気でも、今日には、急に亡くなることだってあり得ますからね。
特に新型コロナウィルス感染症のニュースなんかを見ると、案外いつ死んでもおかしくないんだな、と思います。

死んでも自分のまま

仕事柄、「どうせいつかは一人になる。それに死んだら終わり。」と半ば投げやりにおっしゃる方にお会いすることがあります。

「今の人生があまりにも辛くて、毎日憂鬱でしかたない」
「もう、消えてしまいたい」
「死にたい」
「死んだら全て解決する。」

そう感じることもあると思います。
わたしも何度もそういう思いをしてきました。
ついに自殺という手段をとってしまう場合もあります。

もちろん、そうすれば「今の肉体」から逃れることはできます。
でも、例えそうしたとしても、一時的なものに過ぎなくて、自分という意識はちゃんと残っているんです。

また次の人生へと、永遠に自分はついてまわるのでしょうね。
どうやら、自分でいることを、やめることはできないようです。

それに、今の肉体を離れたところで、自分でいることには変わりはないんです。

もう、諦めて、ただ自分でいるしかない。
結局のところ、自分と向き合っていくしか、他に方法はないんだなあ、と改めて諦めるというか、観念しました。

どんなに頑張っても、強く望んでも、自分以外のものにはなれない。

だったら、自分と気長に付き合って、自分を理解して大切にしていくしかないですよね。

いつも、いつまでも、自分は自分

わたしは、この体験をしてから、日頃の生活のなかでも、考え方が本当に変わりました。

普通に生活していると、仕事やら家のことやら人間関係やら、日々いろいろあります。
やらなくてはいけないこともたくさんあって、焦ったり、うまくいかなくて落ち込んだりすることもたくさんあります。

でも、究極、いつも、いつまでも自分なんです。
だから、とにかく、自分と向き合っていくしかない。

けれども、あれもこれもやらなくては、と、自分を追い詰める必要もないんです。

いつまでも自分なのだから、今やり残したことは、また次のチャンスで続きをやればいいだけなんだ。
「今はダメだけど、それでもいいよ」
自然にこんな考え方が自分のなかから浮かんでくるようになりました。
かつての超ネガティブ思考人間だったわたしが。

なぜなら、肉体が無くても、自分の源は常に変わらずにあるのだから。
であれば、焦ることはないですよね。

今、ひどい心の傷、トラウマ、ネガティブ思考、体調不良などに悩まされていても、本質の部分で、自分は自分でいることに変わりはないんです。

他の人があなたをどんなふうに評価しても、本質では、あなたはあなた。
唯一の存在である、その価値がなくなることはありません。

すごく分かりづらくて、意味不明な部分もあったかと思いますが、
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ABOUT ME
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Chisako
臨床心理士・公認心理師・ヨガインストラクター。元社労士。 こころとからだのことで悩んでいるあなたに、わたしの今までの学びがお役に立つと嬉しいです。 根が不器用な自分を認めて、ただシンプルに生きるのが信条。