こちらをお読みになっているあなたは、何か、ご自分のなかにモヤモヤしたものを抱えていたり、からだやこころの症状に悩んでいたりしているのではないか、と思います。
そして、ご自分でも何とかしようと、良いと言われる方法を、本やネットや周囲の人のクチコミで探して「これだ!」と思えば試し、でもダメで、また別の方法を探して・・
医者、鍼灸師、整体師、カウンセラー、セラピスト、メンターなどなど、あちこちの専門家から、アドバイスをもらって実践してみた経験をお持ちかもしれません。
それでも、どうしても、うまくいかない。
これだけやってダメだったから、もう、うまくいくとは思えない。
結局のところ、どうすればいいんだろう?
もう、ダメかも。
いつまでもこんなことをしていて、今まで自分がやってきたことは何だったんだろう・・・
今、そんなお気持ちかもしれません。
過去のわたしもそうでした。
わたし自身、不調に悩んでいた時は、度々そういう気分に襲われました。
高校生2年~大学入学あたりから、たびたび気分が落ち込みがち。
就職活動に失敗して、リベンジのためにいろいろな職場・資格に挑戦するも、組織というものに対して漠然とした恐怖があってうまくいかない。
体調にも波がある。
ある方法を試してみたら、調子が良くなって、気分も上々。
「これは良いかも」と、ワクワク、嬉しくなったにもかかわらず、数日後には、「あの時の感覚はどこに行ったの?」と、また元通りになってしまってガッカリ。
ワラにもすがる思いであれこれ期待しては裏切られ、
また挑戦しては当てが外れ、
の繰り返し。
本当に、「なす術がない」気分になったこともありました。
「継続すれば、必ず良い結果になる」、と専門家は言うけれど、自分なりに頑張って続けているのに、一向に良くなる感じがしない。
「一体、いつまでやればいいの・・・」
努力しても報われないし、今までの苦労が水の泡、的な感じもするし、
それでも続けるだなんて、途方もない気分になりますよね。
本当に些細なことがきっかけでした。
体調は最悪、もう、どん底、そういう状態でしたが、ある時を境に、わたしは回復していきました。
わたし自身のなかにある「生きよう、良くなろうとする力」、つまり自然治癒力に気付いたのです。
その後も紆余曲折がありましたが、わたし自身をはじめ、全ての人に備わっている「生きよう、良くなろうとする力」をずっと信じてきました。
今でも、その気持ちは変わりありませんし、セラピストとしての大切な基本になっています。
ここでは、わたし自身の体験から、あなたのなかにもある、「生きよう、良くなろうとする力」についてお伝えしたいと思います。
今から20年近く前、わたしが24歳の頃でした。
当時は実家暮らしで、母が病後、高齢の祖母がいるという環境で、日常の家事をやらなくてはいけない状況で、わたしはフルタイムの仕事に就くことができませんでした。
就職氷河期のなかで、やっと就職した職場を自分の限界で辞めざるを得なくなって。
「ちゃんとした社会人になってリベンジしてやる!」という思いがあり、社会保険労務士の資格を取得するため勉強していました。
父親の理解がなくて、どことなく肩身が狭い思いをしながら日々家事をし、資格スクールに通う以外は、ほとんどの時間を勉強に当てていました。
本番の試験まであと3か月という、5月のゴールデンウイーク明けのある夜。
急に眠れなくなったんです。
疲れているのにちっとも眠れない。
それどころか、物音に異様に敏感になってしまい、夜遅くに帰って来た弟が、リビングで食器の音を立てるだけで、目が覚めてしまう。
眠りたいのに、いざ、眠りに落ちるという瞬間になると、「試験に落ちるかも」という言葉が急に浮かんできては、それが気になって眠れない。
こんな状況が続きました。
眠れないので疲れは溜まる一方。
体力も落ちてきて、身体全体がだるくて仕方がありませんでした。
どうにもならなくて、近くの病院に行きました。
何科を受診すればいいか分からなかったので、総合案内の看護師さんに聞いてみました。
「どこの科を受診すればいいですか?」と尋ねたところ、
「心療内科かな~?でも眠れないと気にすると余計眠れなくなるからね~」
とあまり相手にされず。
そこの病院には心療内科がなかったので、結局診察もしてもらえませんでした。
仕方なく、他の心療内科クリニックを探して受診したところ、「とりあえず」という感じで睡眠導入剤を出してくれたので、とにかく飲んでみました。
すると眠れることは眠れるのですが、睡眠は浅いまま。
でも、かえって副作用のせいか、ぼんやりしてスッキリしない。
異常に口のなかが渇く。
ついに倒れそうになって
それでも、やらなければならないことはやらなくてはいけないので、だましだまし毎日を送って1ヶ月以上過ぎたころ。
朝起きて普通に家事をしようとしたのですが、身体がフラフラして立っているのもやっと。
それでも、何とか掃除を始めようとしたのですが、とうとう母親に「もういいいから」と言われて、ベッドに戻るしかなくなってしまいました。
「もう何もできない・・・」
本当に何もすることがない。
できない。
ので、ただ横になって、天井の模様を見つめていました。
そうかといって眠れるわけでもない。
ただひたすら時間が過ぎていくのを見てるだけ。
体力も気力も、お金も仕事も、知恵も要領も、キャリアも経験も無い。
もう自分には何もない。
家に置いてもらっている以上、迷惑をかけてはいけないと思ってやっていた家事もやれない。
家族にも見捨てられてしまった…
そう思えて仕方がなかったです。
とても弱っていて、なんだか呼吸するのがやっとのように感じられました。
自分が本当に何もない、空っぽな感じ。
生ける屍、というのは、こういう状態なんでしょうか?
ただ、「虚」それだけしか感じられませんでした。
呼吸もおぼつかなくて
呼吸の仕方を忘れてしまったみたいで、次の呼吸ができるかも不安になってきて。
なので、自分が息を吐いたら、ちゃんと吸えるかどうか、しばらくそれだけをただ気にしていました。
すると…
自分のなかで声がしました。
「この世でなすべきことなど、何もない」
多分、以前以前読んだ本のなかの言葉だったと思うんです。
斎藤綾子さんの「愛より速く」か、鍼灸師の田中美津さんの本か。
その瞬間、ウツウツとしていたものが、すーっと静まっていく。
緊張が抜けていく、というか、ほーっと深い息が戻ってくるというか。
そんな感覚が生まれました。
いま、ただ、呼吸している。
今、ここに、わたしがいる。
それだけが確実なことだと。
「それが全てだ・・・」
なぜか、そんな気持ちが自分のなかで自然に湧いてきて、そのまま、すーっと眠り込んでしまいました。
外側の状況は何も変わらないけれど、何かが変わった
その時を境目に、少しずつわたしの調子は良くなってきました。
試験まで残り2か月を切っていまして、模試があったり、スクールの講義にでると周囲もピリピリした雰囲気。
日程が刻々と迫っているのが肌で感じられるようになるし、家族との関係は相変わらず。
外部の状況は何も変わらないというか、時間が迫っているので、状況は悪くなっているとも言えます。
それでも、わたしのなかで、確実に何かが変わりました。
あれこれ深く考え込まないで、淡々とやるべきことに集中できるような感じ。
「とにかくやるだけだよ」みたいな。
それから試験まで、ひたすら淡々と勉強し続けることができ、無事、合格を果たしました。
まさにマインドフルネスという体験
それから数年後、伝統的なヨガに出会い、瞑想の練習もするようになって、あの瞬間の状態が、まさにマインドフルネスの状態だったんだ、ということに気が付きました。
世間から見て「ダメな自分」でいると、家族を含めた全ての人から見捨てられるかもしれない。
それが怖くて。
そんな自分の弱さを認めることが嫌で、情けなくて、ただ逃げていた、わたし。
そんなダメなわたしのなかにも「生きよう、良くなろうとする力」があるっていうこと。
そのことを、確信できた瞬間だったんです。
昨今、瞑想がメンタルヘルスケアに良いということで、職場や学校で実践されているという報道を見たことがありますが、それは本当です。
頭で考えることを止めて、ただ全てを委ねる、みたいになった時、自分のなかで何かが起こってくるんです。
自分がいわゆるカウンセラーなのに、こんなことを言うのも変ですが、カウンセラーとかセラピストの力も大事ですが、本当は、そういうものがなくても、人間誰でも自分の力で自分を癒すことができるもの。
生きているものには全て、自分のなかにある「生きよう、良くなろうとする力」が確かに存在しています。
自然治癒力と呼んでもいいのかもしれませんが。
その力こそが癒しの源です。
あれから20年近く経ち、それなりにセラピストとして、自分自身としても、いろいろなことを学んだわけですが、わたしはそう確信しています。
(その思いがわたしのセラピーを形作っています。)
「生きていこう」「成長しよう」とする自分だけの力を、時には疑いつつも、最終的にはやっぱり信じていく。
病気になるのも、病気を治すのも、究極、自分だけなんです。
不調に押しつぶされそうな状況にいるあなた。
何をしても、しなくても、不調は、もしかしたら、無くならないかもしれない。
それでも、これを読んでいるあなたは、今、ここに、存在しています。
それだけが真実です。
ただ、あなたがいるんです。
本当に何もない状態かもしれません。
でも、あなたの身体があって、呼吸があって、あなたとしてここにいる。
少なくとも、あなたの身体そのものは生きようとしている。
究極、癒しというものは、誰かに与えられるものではない。
誰かがあなたを癒してくれるんじゃないんです。
あなたを癒すのは、あなた自身なんです。
あなたのなかの、生きていこうとする力。
エネルギーなんです。
今は「ない」。でも、次の瞬間には「ある」かも。
あなたを変えるのは、外部の環境でもなく、有益な情報でもなく、周囲の支援でもなく、
本当のところ、あなた自身の内面で起こる気付きだけ。
それだけなんです。
そういう気付きは、いつ、どのタイミングで起こるか分かりません。
何の前触れもなく、ある日突然起こることもあります。
「時熟」というのか、星回りというのか、
「その時」を待つしかないこともありますが、
それでも、生きている限り、チャンスはあるんです。
案外、何かを手放した瞬間に。
今まで、クライエントさん達の、そういうケースをたくさん見てきましたから。
不調や虚しさ、不安感やネガティブな感情は、おそらく生きている限り、完全に消えることはないでしょう。
けれど、その事実と正面から向き合えれば、そんな状況でもちゃんと受け止め、やがて、乗り超えることができます。
不調やネガティブな感情を、外部の誰かや何かに打ち消してもらわなくても、本当は自分でちゃんと向き合って、ケアして、自分の力で抱えることができるんです。
虚しくても、満たされていても、あなたはあなた。
あなたがいる、という真実には、なんの変化もないからです。
あなたも、どうか、ご自分のなかにある「生きよう、良くなろうとする力」を信じてあげてください。その力に気付くことから、あなたのなかにしかない癒しが始まります。
あなたはご存知でしょうか?
不安、うつ、トラウマ、過緊張など、こころの症状を、、身体を整えながら、身体の側から改善していくことができるということを。
「心の問題には対話によるカウンセリング」というのが一般的な常識ですし、
わたし自身、臨床心理士として、カウンセリングの効果も確かにあると認めています。
けれども、カウンセリングでは、うまく話すことができないと、なかなか先に進めない、ということも事実です。
いくら相手がカウンセラーだったとしても、そんなにすぐに打ち解けて、自分のありのままを話すことなんて難しいですよね。
信頼できるかどうかも分からないし、不安ですよね?
カウンセラーと信頼できる関係を築くまでには、本当に長い時間がかかります。
そのため、カウンセリングで変化を感じる前に、続けられなくなってしまう場合が多いのです。
「カウンセリングがうまくいかない」と困っている方がきっとたくさんいらっしゃるはず。本当はそういう方こそ、心のケアが必要なのに。
そこで、「無理に誰かに話さなくても、心の問題を解決していける方法があればいいな」と、わたしはずっと探していました。
そこで、たどり着いたのが、身体を整え、身体の感覚に向き合うことで、心を整え、心の問題を解決していこうとする方法でのカウンセリングだったのです。
これから自分らしく生きるために、こころ、からだをケアしたい。
でも、カウンセリングでは難しい。
そんなあなたにこそ、かぜのねのカウンセリングをお勧めします。
ぜひ、一度試してみてくださいませんか。