雑記帳

金木犀の香りに想うこと

これを書いている時も金木犀の香りがしています。
というのは隣の家に金木犀が植わっているから。
まだ花は3分咲きという感じですが、もう満開のような香りがします。

金木犀のこの時期になるといろいろと思うことがあります。

この金木犀が咲く時期は、わたしとって、なぜか、大きな出来事が起こる時期なのです。

なので、この時期は不思議な感覚になります。
ちょっとしたことですごく気持ちが動揺したりすることもある反面、
妙に気持ちが落ち着いて、「もし世界の終わりが来ても、今なら平然としていられる自信があるな」と思ったり。

キンモクセイの香りは、わたしを、明日はどうなるかわからない、みたいな、そんなふうな気持ちにさせます、
今年こそは、この香りを存分に楽しめるのだろうかとか。

27歳、初めてのカウンセリングを受けたとき

それが、ちょうどこの時期でした。

わたしはある労働保険事務組合で働いていて、数か月前の6月で、そこを辞めてしまっていました。
なんとなく気後れしてしまって、仕事が見つからないというより、探そうという気持ちになれない状態。家には居辛いし、ハローワークに行くことを口実にして、ただ外をうろうろしていました。

辞めたばかりの時は、解放された感があって、少し休んだらすぐまた仕事を探すつもりだったんですが。
社労士の資格を取って、一度目のチャレンジで挫折して、再度チャレンジしたのがその事務組合。
事務補助で時給800円。
なのに営業をやれと言われたり、売り上げないヤツは要らないだのと言われて。
辞めたことを後悔はしていなかったんですが、日に日に失望感みたいなのが高まるばかり。

気持ちが後ろ向きになってしまって、求人票を見るのもしんどい。
そんな状況で、放浪先の公民館で、とあるカウンセリングルームのパンフレットを見つけました。

そこで初めてのカウンセリングを受けた後、なんともなく気持ちがほわっとしていて、ただぶらぶら歩いていて、あてもなくバスに乗って、気がついたら多磨霊園に着きました。

まさに秋晴れという、お天気の良い日。
そのまま多磨霊園の辺りを歩いていると、金木犀がたくさん植わっていました。
オレンジ色の小さな花がたくさん咲いていて、今が満開。
あたり一面にその香りが充満していて、息を吸うたびに、金木犀の香りが胸いっぱいに入ってくる。
その時に、はあ。
と、やっと一息ついたというか、そんな気持ちになったことが、はっきり記憶に残っています。

もうひとつ想い出すこと

それからしばらくして、わたしの両親があわや離婚という事態になりました。
ほんとに、ちょっとしたことがきっかけでした。

普段と全く変わらない、かのように思えた、その日の夕方。
父親が引き出しの中に、へそくりとして、10万円隠していたらしいんです。それをたまたま母親が見付けて、何の気もなく取ってしまったらしいんです。

父がお金が無いのに気が付いて、母に尋ねたら、母は「知らない」とウソをついたらしい。
父親の怒鳴り声が聞こえて、わたしが部屋に行ってみると、父は「泥棒だ」とか「嘘つきだ」とか、すごい剣幕でした。
その勢いで母に拳を振り上げたんですが、わたしが見ているのに気付いたのか、それとも母が子供みたいに身をすくめたためか、結局、母を殴ることはなく、拳を下ろしました。

父は、わたしたち子供にはちょくちょく手を挙げていたのですが、母に手を挙げるのを見たのはこれが初めて。

わたしは「もうこれはまずいんじゃないか」と思いまして、母も相当ショックだったようで。母が目を真っ赤にしていた表情が忘れられません。

「出ようか」と、とりあえず、2人で家を出ることにしたんです。

翌日、急遽アパートを探すことになって、わたしは駅前の不動産屋に行きました。
わたしはまだ仕事が見つかってなくて、これからどうしようっていうふうなことを考えていると、ふと、金木犀の木があって、花は散っていたけれど、まだあの香りがしました。

結局のところ、両親は離婚せずに済みました。

父親はこのまま家を出たら本当に離婚だと、はっきりと言い出しまして。
まだ母の方には、そこまでの覚悟がどうもなかったらしく、そうこうしているうちに、双方が落ち着きを取り戻して、離婚は白紙になりました。

わたしは、なんだかその時に、今まで自分が確実だと思ってきたものが崩れていくような、コンクリートだと思っていた足元の地面がバラバラと崩れていくような、そんな実感がありました。
その後しばらくの間、茫然自失というか、何も手につかない状態に陥ってしまいました。

後になって、このことを思い返してみて、わたしは、家族が仲良くしてくれることを望んでいて、そのために、ずっと自分なりに努力をしてきたんだ、ということに気付いたんです。
父は気分が変わりやすい性格だし、機嫌が悪くなると手が付けられない。
母は母で妙に子供っぽいところがあって、「それはないだろ」みたいなことを平気ですることがある。
そこをうまく調整すべく、わたしの長い間の努力が、ほんの些細なことで、水の泡になってしまう。
それでもう、何も信じられない気持ちになったんですね。

一昨年は手術を控えていました。

あと金木犀の香りで忘れられないのが一昨年のこと。
わたしは10月9日に手術を受けることが決まっていて、検査で病院に度々行っていたのがちょうどこの時期なんですね。
病院の敷地内で帰りのバスを待っていると、雨の中、あの香りがしました。

医学的には大した手術ではないのですが、全身麻酔をかけるので、万が一の確立で死ぬことがある。
ヨガスタジオで、ヨガの仲間たちが、来月のクラスの予定のことを話し合っていて、ふと、「わたしに来月ってあるのかな?」ってそんな気がしたことを覚えています。

今年もコロナの状況にいる。

そして今年もコロナで先行きが本当に見えない。
そういう状況が、これまでの状況と似ています。

ただ、今のわたしは、究極、自分を生きていくしかないことには、変わりがない、っていうことを確信するようになったので、すごく落ち込むっていうことは幸いなくなったのですが、それでも、ほんと世の中って無常だな、みたいに感じます。

ほんとに確実なことって何もないんですよね。

東日本大震災の時も、しみじみそう感じたんですが。
ほんとに次の瞬何が起こるかわからない、金木犀の香りを嗅ぐと、なにか、そういうふうに改めて思います。

だから今、当たり前の1日がすごくいとおしい感じがします。
世間的に見たら非生産的な人生なんでしょうし、一般的に望まれるものは何も持っていないけれど、ご飯を作って食べるとか、そういうことが妙に貴重に感じられるんです。

とりあえず今は健康ではありますので、当分先の話になるとは思うのですが、死ぬ時が間近に迫ったら、キンモクセイの香りを嗅いだ時と同じような、きっとまたこんか気持ちになるんじゃないかな、と思うのです。

取り留めのないことを書きました。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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Chisako
臨床心理士・公認心理師・ヨガインストラクター。元社労士。 こころとからだのことで悩んでいるあなたに、わたしの今までの学びがお役に立つと嬉しいです。 根が不器用な自分を認めて、ただシンプルに生きるのが信条。