身体の声を聴く

「感じること」で自分を取り戻す(下) 〜心と身体のつながり〜

前回の記事では、身体の感覚を「身体の痛み」という観点からお伝えしてきました。

前回の記事からの続きとして、この記事では、
「痛み」への向き合い方を変化させるにはどうすればいいのか。
「身体の感覚」を取り戻すためにどんなことをしていけばいいのか。

そして、「感じること」を大切にすることが、より自分らしく生きる道になっていく。
そんなことをお伝えしていきます。

初めての「石灰沈着性腱板炎」体験

まずは、わたしの経験をお話させてください。

わたしは以前に何度も石灰沈着性腱板炎(石灰性腱炎)という症状で、肩の激痛に悩まされたことがあります。

わたしの場合、この症状は、何となく肩先のあたりに違和感があるな、と思っていると、突然痛み出すんです。
そして、一番ひどい時には、二の腕の外側あたりが本当に痛くて、腕を上げることさえ出来なくなります。

医学的には、もっと重度になると手術することになるようですが、まだそこまでは、という感じ。
そうかといって、何か治療法があるのでもなく、痛み止めを飲むか、炎症が起きている部分を冷やしながら、ただ痛みが治まるのを待つしかない…

ちょうど、今から10年以上前のことになりますが、当時ヨガ講師なるためのトレーニングを受けている最中に、初めてこの症状に見舞われました。

仕事帰りの電車なかで、吊り革を掴もうとしたら、二の腕の外側の辺りに、「ズキッ」と突っ張るような衝撃が走ったんです。
転んだ記憶もなければ、何かにぶつけた記憶も全くありません。

「なんでだろ~?何これ?」と思いつつ、一晩様子を見ることにしました。
翌日になっても痛みは増すばかり。
とりあえず行きつけの鍼灸院に行ってみました。

とにかく「痛い!」しかない

先生は、「再石灰化だね。炎症起こしてるから、とにかく冷やすように」と、いつもの調子で、淡々と鍼を打ってくれました。

「まあ、大したことはなさそう…」
なのはいいけど、とにかく痛い!!

腕を上げることもできず、腕を後ろに回そうものなら、ズキンと痛みが!

服を着替えるのも一苦労。
ブラジャーのホックが留められなくて、仕方なくブラパット付きのキャミソールを下から履いていました。

横になってもやっぱり痛くて、少しでも肩を動かそうとすると「ズッキン!」
頭の奥まで衝撃が走ります。
もちろん寝返りをうつことも出来なくて、ちっとも眠れない。

「もうダメかも…」ネガティブな気持ちでいっぱいに。

いずれ治まるのは、頭では分かっているけれど、とにかく痛い。辛い。苦しい。

「どうしよう、ちゃんと治るのかなと?」という不安。
「どうすればいいの?」という混乱。
「当分ヨーガの練習も出来ない(涙)」という悲観的予測。

仕事にも集中出来ないし、ちゃんと眠れないので疲れが溜まっていくばかり。

「最悪…(涙)とにかく疲れた…」

暗澹たる気持ちで、ヨガの先生にご連絡すると、「でも取り敢えず、来てみたら?」とのこと。
なんとか気を取り直して、痛む肩をかばいながら、とぼとぼとトレーニングに参加しました。

痛みがあったからこそ、学べたこと

当時の先生に事の次第をお伝えしたところ、先生曰く、

「動かせるところを動かしなさい。人のからだに、八方塞がりはないから。」

「え〜?多分無理…」と内心思いつつ、取り敢えずやってみると。

当然右腕が上がらない。
力が入れられないので、腕立て伏せのような、床に手を付いて行うポーズはできません。

しかし、そんな右腕が上がらない状態でも、実際には他に動かせるところがたくさんあったんです。
立位のポーズで、真っ直ぐ立っていることはできる。
座位のポーズで、右腕を庇いながらではあるけれど、背骨を捻ることもできる。

「痛いかな」と心配したり、「あ、平気だ」とほっとしている自分がいる。
夢中になってやっているうちに、いつしか痛みを忘れていました。

「痛み」に向き合うことは自分の感覚に向き合うこと

その日のヨガを通して、こんな状態でも「やってみると、意外に出来る!」ということが実感として分かりました。

どこから痛くなるのか、どこまで大丈夫なのか。
身体をゆっくり動かしながら、痛む位置を探ってみる。

「痛いに違いない」と最初から決めつけることをしないで、あえて動かしてみる。
痛みが出てきても、大丈夫そうなら、少し痛みのなかに留まって、様子を見てみる。
痛みから遠ざかろうとするのではなくて、「痛み」そのものを少し味わってみる。

こんな感覚でヨガを練習することを、この時に初めて体験できました。
そして、それが他ならない「自分の感覚に向き合うこと」だ、ということが、後々分かってきたんです。

その日は、本来やるべきプログラムの半分もまともにやれませんでした。
しかし、単にプログラム通りの内容以上のことを、「自分の身体の感覚を内観する」という正にヨガそのものを、ここで確実に学ぶことができました。
その学びは今にもつながっています。

本当に、この時の「痛み」があったからこそ、なんです。
ただ、当時は非常に辛かった記憶がありますが。

少々脱線しますが…「痛み」に悩む方へ

おそらく、こちらを読んでくださっている方のなかには、今身体のどこかに辛い痛みがあって「とにかく痛いのを少しでも和らげたい!」そんな思いの真っ只中にある方もいらっしゃるのではないかと思います。

そこで、少し技術的なことからアドバイスを申し上げます。
この時のヨガのトレーニングでは、操体法という考え方を先生から教えていただきました。

操体法とは医師の橋本敬三氏(1897-1993)が提唱された考え方です。
(先生には「からだの設計にミスはない」等、複数の著書があります。)

操体法では「何々病を治すという発想ではなく、生活のまちがいからおこる、からだの歪みを正す、つまり健康の基本を調整するだけで、いろいろな病気がひとりでに治ってくる」と考えます。

実際のやり方としては、身体を動かしてみて、痛みや違和感があったら、楽な方に、楽な方にと動かしてみます。
そうすることで、身体の歪みを正し、元々の元気な身体に戻していく、というものです。

そして、人体には、連動している箇所があるのです。

肩関節と股関節。
首と腰。
膝と肘。
手首と足首など。

ですので、例えば当時のわたしのように、肩が痛くて動かせない時には、代わりに股関節を動かして弛め、動きを良くしています。
そうすることで、股関節と連動する肩が弛んで楽になるんです。

また、手や足は、左右で通じているので、痛みの無い方の左肩を、痛む右側の代わりに、ゆっくり動かしながら弛めてあげると、痛む右肩のケアができます。

わたしも、もちろん実際に試してみました。
この時は、股関節を柔らかくするポーズや、動かせる左肩を使っては弛める、使っては弛める、という動きをやりました。
すると、だんだんと右肩も楽になってきたんです。

身体のある部分の痛みが強いと、触るのも怖いかと思います。
ましてや、その部分を動かすなんて、とんでもない!

そんな状況の時には、ぜひ、上記のように、人体のなかで連動している部分をケアしてみてください。
きっと楽になれるはずです。

「痛み」への向き合い方を変えていくには?

話を元に戻します。

確かに「痛い」こと自体、本当に辛いものです。
しつこい痛みが長く続いたり、繰り返したりすることによって、生きる気力が奪われ、人生の質が著しく低下してしまう場合だってあります。

また、痛みの感じ方は人によって千差万別です。
誰かに相談しても分かってもらえなくて、ご自分ひとりで悩むしかない。
自分が我慢するしかない。
そんな気持ちにならざるを得なくて、それが痛みを一層苦しいものにしてしまいます。

けれども一方で、「痛み」を始めとする身体の感覚というものは、自分から自分へ向けた何らかのサインだったり、思わぬ学びを与えてくれるものだったりすることは、前々回のブログから通してお伝えしてきた通りです。

辛い状況かもしれませんが、身体の感覚には、そういった一面もあるんだ、ということを心の片隅でもいいですから、置いておいてください。

「痛い」という客観的な事実を認め、ただ感じてみる

身体に痛みがある。
どこか違和感がある。
場合によっては、はっきりと名付けることが出来ないような、曖昧な感じかもしれません。

が、ご自分のなかで確かに感じられることであれば、それは客観的な事実だということです。

まずは、その点をしっかりと見つめる必要があります。

客観的な事実とは、今まさに現実に起こっていること。

「身体に痛みがある」という現実から逃げたり、切り捨てるのではなくて、ただ、事実として認めることから始めてみてください。

言葉で表現すると、あまりにも簡単なことに思えるかもしれません。
ところが、実際には、わたしたち人間にとっては、とても難しいことなんです。

わたし達は、自分にとってネガティブな現実を、半ば無意識のうちに遠ざけていることがほとんどです。

とても簡単な例を挙げると、健康診断の結果で異常があるのに、気にしないようにしたり。
部屋が汚れているのに気がついているのに、見なかったことにしたり。

本当は「嫌だ、何とかしたい」と思っていながら、「まあ、いいか」と先送りしていることって誰にでも思い当たることがあるのではないでしょうか。

「身体に感じられる感覚」をただ、ただ、感じてみる。

だからこそ、「ただ感じる」ということ、つまり、現実をありのままに感じてみることをやってみてください。
当たり前だけれども、意外とやっていない、出来ていないことのはずです。

「痛いから〇〇が出来ない」とか、
「いつまで痛いんだろう」とか、
いろいろな思いが浮かんでくるかとは思います。

が、その思いを少し脇に置いておいて、頭で「痛いに違いない」と決めつけないで、
ただ「痛む」感覚を、恐れずに、ただ感じてみてください。
単純に痛みのなかに留まる感じで。

すると、いかがでしょうか?

その「痛い」という感覚は、変化しないものでしょうか?
それとも、一瞬一瞬呼吸とともに変わっていくものでしょうか?

おそらく後者のはずです。

そうなると、「痛みは同じようにずっと続いていく」というのは、実は頭の働きによる思い込みだったということになります。

そういう頭の働きを一旦遠ざけて、ただ感じるがままを受け入れることが、身体の感覚を取り戻すことにつながります。

思うように痛みが取れないと、つい、そう思い込んで、わたし達は無力感を持ってしまうものです。

けれども、本来、痛みは変化するもの、です。
痛みだけではなく、身体の感覚や感情もすべて変化するもの。
その「痛み」などを感じている自分自身の軸こそが、本当は変化しないものなんです。

今はどれほど不快でも辛くても、永遠に続くことはありません。
状況は必ず変わっていきます。

だからどうか、必要以上に痛みや身体の感覚を恐れないでください。

「なぜ痛いの?」考えてみたことはありますか?

「痛み」を始めとする身体の感覚を事実として認めるということこそ、「痛み」を自分のものとして受け入れ、向き合っていく第一歩です。

そのうえで、具体的には、
「改めて痛みがどんなふうに感じられるのかな?」
「この痛みは何のサインなのかな?」
「今わたしの身体は何を訴えているのかな?」と、
身体の感覚に意識を向けて、身体の内部をただ感じてみることです。

そうすると、痛みのなかから、どこかモヤモヤした感じだったり、何か心に浮かんでくるものだったり、何か見えてくるものがあるはずです。

そのうえで「なぜ痛いんだろう?」
ご自分自身に問いかけてみます。

ずっと前述してきたように、痛みを始めとする身体の症状は、どのようなものであっても、あなたに何かを伝えています。

身体を労らなくていけない状態を無視してきた結果かもしれません。
運動やダイエットなど、身体が必要としていないのに、頭で決めつけて行っている生活習慣があるのかもしれません。

知らない間に溜めてしまったストレスかもしれません。
忙しすぎ、急ぎ過ぎの生活にブレーキをかけるためかもしれません。
あるいは、無意識の罪悪感があって、自分で自分に罰を与えているという場合も。

石灰沈着性腱板炎が教えてくれたこと

わたしの場合、石灰沈着性腱板炎に度々苦しんだ背景には、自分で自分を追い立てていたことがあったと気付かされました。

「どんどんやらなきゃ」っていう気持ちばかりが高まっていくと、ブレーキがかかるように痛みが出てくるのです。

当時の仕事では、ノルマというほどではないけれど、目標数字があって、人と比べられることが往々にしてありました。
数字が悪いからといって、それほど気にしなくても構わない環境ではあるけれども、やっぱり、「人一倍やらないといけない、人に劣るのは恥ずかしい」みたいに感じて、気になって仕方ない。

その奥底には、やっぱり就活で失敗した挫折感があったんです。

さらに、この症状は炎症なので、高湿度と高温はNGです。
ひどい痛みが出る前に、肩に違和感を感じることもあったのに、なぜか、そういう時に限って岩盤浴にハマったり、ホットヨガをやったり。

身体のサインを無視して、自分にとって必要なことと真逆のことをしてしまっていました…

それから今に至るまでの過程で、不器用で本当に好きなことしか続けられない自分のままで生きていくことを決め、今の仕事を始めてからは、全く痛みが出なくなりました。

身体の感覚というのは、より自分らしく生きるために、自分のなかにある向き合うべきことを教えてくれるものです。
そして、自分と向き合うこと。
それが症状や問題を改善する一番の近道にもなるのです。

自分に問いかけをする

究極のところ、痛みを始めとする、身体の感覚というのは、誰かがあなたに代わって感じてくれるものではありません。
自分ひとりで向き合っていくしかないものです。

大変辛いことですが、「痛み」そのものは、他の誰とも共有出来ないものです。

「痛い」という感覚を、誰かに説明して理解してもらおうとしても、頭での理解だけで痛みの質が分かるというものではないし、誰かがあなたの痛みそのものを、実際に一緒に感じて共感してくれるものでもないです。

自分の内部から発せられる、自分だけの、自分にしか分からなくて、自分だけが向き合っていけるものです。

なので、
「何を感じているの?」
いつもご自分に問いかけてあげてください。

まずは、ご自分の身体の感覚に関心を持ち、その声を聴いて、行動してみることです。

単純なことですが、身体が「疲れている」と言うのだったら、「今日はとりあえず早く寝よう。」
「少し動きたい」と言うのだったら、「ちょっと散歩してみよう。」とか。
あなたの身体が求めていることをしてみてください。

例えば、ケーキを食べようか、迷った時にも、身体の言い分を聞いてみて、身体の声にひとつひとつ対処していってみてください。
(蛇足ですが、案外、甘いものは、身体が欲しているというより、心が手っ取り早く満足したくて欲しがっている、ということが多いものです。)

どんなに小さなことからでもいいのです。
この問いかけを通して、自分のことを知り、少しずつ自分を受け入れていくことができるようになります。

答えが出ない時もあるかもしれませんが、それでもいいのです。
答えが出るかどうか、とか、正解・不正解は気にしないで、身体の感覚が代弁していること、つまり、あなた自身の内面で起こっていることに、関心を向けてあげることが大切です。

「人生に八方塞りはない」

ところで、わたし達は、身体に痛みがあったりすると、そこだけを気にしてしまい、「ダメだ、できない」と思いがちです。

でも、果たしてそうなんでしょうか?
痛くて動かせないところもある。
けれども、動かせるところもあるはず。

わたしは痛いながらもヨガを学んだことで、「身体を全く動かせない」というのが、実は自分の思い込みだったことに気付きました。

ちょっと冷静に考えてみると、右肩が動かせないだけなので、身体全体が動かないということではありません。
ところが、痛みの真っ最中にいる間は、そういう冷静な判断ができる状況ではなくて、とにかく「動かせない」という気持ちで一杯になってしまっていました。

上述したヨガの先生の言葉には、実は続きがあります。

「動かせるところを動かしなさい。人のからだに、八方塞がりはないから。
それは、人生でも同じ

わたし達は、本当に困難な、辛い状況にいると、つい「もうダメだ」と、深い無力感に陥ってしまいます。

辛くて、悲しくて、傷付いていて、「もう、何も出来ない」。
そう思ってしまいます。

でも、本当にそうなんでしょうか?
確かにできないこともあります。
けれども、ほんの少しかもしれないけれど、出来ることもきっとあるはずです。

人生も、一見関係のない出来事同士が、実は深くつながっていたりするものです。

だから、動かせるところ、変えられるところ、今の自分にできることを、まずやってみる。と、思いがけず、痛みがほどけていくように、新たな方向が見えてくることがあります。

それからわたしは、いつも「もうダメか?」と思う時、「人生に八方塞がりはない」という、この先生の言葉を思い出します。
このことは、身体に痛みがあったからこそ、学ぶことができたと言えます。

身体の感覚を取り戻すことは、ありのままの現実を生きること

ここまで3回にわたって、「身体の感覚を取り戻す」ということを、わたしなりの体験から学んだことをお伝えしてきました。

AIが台頭している世界ですが、わたし達は、AIが持っていない「生きている身体」を持っています。
頭だけで情報処理するように生きていると、いつしか、「生きている身体を持っている」という実感がなくなってきてしまう。

それでは、心身の生き生きとした健やかさが失われてしまいます。

この一連の記事では、主に「痛み」という視点で身体の感覚についてお話してきました。
身体の感覚というのは、もちろん、「痛み」だけではありません。

日常の人間関係、仕事、家族関係のなかであっても、
どこか、モヤモヤしている感じがする。
何となくしっくりこない。
何かが違うような気がする。
というような、身体で感じられる感覚がきっとあるはずです。

そういう感覚を大切にしていくことをお勧めします。

不調や違和感を頭の判断で不快なものと決めつけたり、無理矢理「大丈夫」といって感じないようにしたりするのではなくて、「今ある」感覚を、痛みや違和感のまま、ただ感じてみてください。

そして、身体の感覚が教えてくれることを、無理のない範囲で大丈夫ですから、実際の生活に活かしてみてください。

それは、AIには出来ない、わたし達人間だけにしか、出来ないこと。
生きている身体を持ち、刻々と変化する環境のなかで、ありのままの現実を生きるということです。

ABOUT ME
Chisako
臨床心理士・公認心理師・ヨガインストラクター。元社労士。 こころとからだのことで悩んでいるあなたに、わたしの今までの学びがお役に立つと嬉しいです。 根が不器用な自分を認めて、ただシンプルに生きるのが信条。
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