わたしは職業柄、さまざまな、不安や焦りや無力感についてのお話を伺うことが多いものです。
が、最近、漠然とした不安感というか、これからの将来に、なんとなく不安を感じる、ということを耳にする機会が増えたような気がします。
そういうお話の主は、生徒さんをはじめ、皆さま特別生活に困っていらっしゃるとか、健康上重要な問題を抱えているとかいうこともなく、一般的なレベルで日常生活を「普通に」過ごしていらっしゃる方がほとんどなのですが。
どこからそんな不安な気持ちが湧いてくるのだろう?
わたしなりに振り返ってみると、社会の変化、特にAIについてのお話の流れから、そういった漠然とした不安感が出てくることに気付いたのです。
AIって、それはそれは素晴らしい能力を持っていますね。
計算したり、分析したり、データを収集したり。
かつては人間しか出来ないと思われていたこと、学習したり、文章を書いたり、絵や映像を創ったりすることだって可能です。
わたしたちより、はるかに上手にやってのけます。
そうなると、いずれは全てAIに取って代わられるのではないか。
今やっている仕事も必要なくなるのではないか。
これから何を、どうやって行けばいいんだろう。世の中どうなっていくんだろう。
そういうふうな気持ちにもなってきます。
わたしのごく若い頃は、まだパソコンも十分に浸透していなかった時代ですが、当時からすると、本当にいろんな変化が起こって来たことに、改めて驚かされます。
一時期、銀行の裏方で働いていたことがあるのですが、いちいち専用の紙に印字したデータを、画面上のデータを突き合わせて…なんて今からすると途方もない手間をかけて作業していました。
そういう作業って、まるで機械みたいで嫌だな、と思いつつ、延々と続く毎日を過ごしていて。
かたや今は、非人間的な作業だけではなく、本来人間的だと思われていた作業までも、AIに奪われようとしている。
「人間ってなんだろう?」と、わたしは改めて考えることが多くなりました。
そんな、不安とも疑問ともいえる思いのなかでヨガをやっていると、「やっばり人間だ!」みたいな気付きがあるのです。
例えば、体調が悪くて急に倒れてしまったとき、AIは駆けつけてくれるでしょうか?
料理や洗濯や掃除をしてほしいとき、AIは代わりにやってくれるでしょうか?
何よりも、わたしに代わって呼吸をし、わたしの身体を動かしてくれるでしょうか?
ヨガをやっているときのように、自分で呼吸をし、自分の身体を自分の意思で動かし、その身体の感覚を感じる。そんなことは、決してAIには出来ません。
実体のある、生身の身体を持たないからです。
呼吸や身体を動かすなどは、健康に暮らしていると、ごく当たり前に行っていることですが、まさにそれこそが、人間としての、実存というか、本質的な姿なんだろうと思うのです。
ただ、ここに、確かに存在して、呼吸して、身体を動かしている。
自分という意識があって、自分の呼吸や身体の様子、心の状態をを観察し続けている。
当たり前のことながらも、ヨガを練習していて、自分自身の内側だけを感じる時間を持つと、いつの間にか、AIのことなどどうでも良くなってきて、不安な感じが薄らいでいくのが分かります。
呼吸ができる、生きている身体を持てるって本当に素晴らしいこと。
AIが台頭する時代だからこそ、その価値がどんどん高まっていくのかもしれません。