「遺伝子レベルで決まっていること」という言い回しを度々耳にすることがあります。
顔や体つき、性格、体質などなどは、親から子へと受け継がれていきますし、実際、遺伝的に発症しやすいとされている病気があることも事実です。
ヨガの世界でも、一部にそういう風潮があります。
例えば、こちらのポーズ。
ヨガの代名詞のように思われているポーズですが。
生まれつきの股関節の形によっては、どうしても床に上半身がつかない場合もあります。
つまり、このポーズが「骨格的に無理」な方も多くいらっしゃるのです。
しかし、その一方で、「生まれつき身体が硬いから、どうせ無理だ」と頭で思い込んでしまって、本来動けるはずの身体の動きを制限してしまっている場合も多いように思うのです。
確かに、「遺伝だから仕方ない」こともあるかと思います。
生まれ持った体質、骨格、柔軟性etc.のために不調に陥りやすいこともあるかもしれません。
けれども、私はヨガを学び、「自分の身体と心と、コツコツ向き合っていくこと」で、たとえ生まれつきであったにせよ、少なくとも身体側の不調については、かなりの度合いで改善できることを身をもって体験することができました。
「生まれつき」というのは、案外、そのように信じ込んでしまう「思い込み」によって、影響されているのではないでしょうか。
「肩凝りは治らない」?
肩凝りに悩んでいる方は多いものです。
「肩コリ改善ヨガ」など、肩周りをスッキリさせるためにフォーカスしたクラスもあるほどです。
こちらの生徒さんも、ほとんど全員、かつては肩凝りに悩まされ、「肩は凝るもの」と半ば諦めていた方もいらっしゃいました。
ところが、実際にヨガをやってみていただくと、肩凝りが軽くならなかった方はいないのです。
もちろん、最初のうちは、ポーズを取ろうにも、肩が痛くて思うように動けません。
すると、パソコン使うから肩凝って当たり前。
整体とか、いろいろやったけど、ダメだったから、そんなに動けるわけがない。
肩が前に入っている骨格、つまり遺伝だから無理。
…と、いろいろな考えが頭のなかに浮かんでしまいます。
けれども、レッスンのなかで、コツコツ、コツコツ、と。
身体の感覚を頼りに、できる限り、身体を正しい位置に近づけるようにポーズを取ってみます。
骨格がどうの、とか頭で考えることを取り敢えず止めて、ほんのわずかな感覚の違いを感じ取れるように。
そして呼吸の様子。
それだけを意識して、シンプルにヨガをやってみます。
しばらく続けていくと。
ある時、ふと、動かせないと思っていた肩周りが動き、呼吸が楽にできるようになり、そして、あれほど凝り固まっていた肩が緩んでいることに、皆さん気が付かれます。
「ゆるんで楽になった」というのは、実際の、生身の身体の感覚です。
なので、そこには嘘はありません。
そういう、実際に「ゆるむ」体験を、自分の生きている身体を使って積み重ねていくと、「肩凝りは自分でも治せるものだ」と腑に落ちるように分かってきます。
肩凝りだけではなく、「動かない」のが当たり前だった身体も、ヨガを続けていくうちに、だんだん動くようになってくることに、皆さん気付かれます。
その頃には、体の不調も少しずつ少しずつ改善され、楽になっているのを実感される方が多いです。
ここから言えることは、「肩凝りはどうにもならない」というのは、実は、「自分でそう思い込んでいた」という側面があることです。
こんなふうに、なかば当たり前みたいに、誰しも自分の身体に対して「思い込み」を持っていることって、あるのではないでしょうか。
他ならぬ、私自身もそうでした。
私にも、長年、自分では思い込みとも思わずに、ずっと「骨格的に無理」と信じてきたポーズがありました。
もともと骨盤が後傾していて、なかなか「骨盤を立てる」という感覚が分からなかったのです。
でも、ある時、いつも通りヨガを練習していると、突然「骨盤がすっと立ち上がった」のです。
この身体の動きによって、私は自分の身体に対する「思い込み」に気付きました。
そして、それは同時に「思い込み」が解けた瞬間でもありました。
この時のことを、改めて振り返って見ますと。
「骨格的に無理だ」と思っていたのは、実は自分の身体に対して、よくよく事実を確かめもせずに、勝手に判断して、「どうせできない」と思い込んでいた部分が大きかったのではないか?
と思えるのです。
もちろん、生まれつきの骨格や関節の柔軟性による限界があることは否定しません。
けれども、私の場合は特に、「骨格的に無理」というのが、知らず知らずブレーキになってしまっていて、自分で動ける範囲を制限してしまっていたようです。
それに加えて、自分のどこかで「生まれつきできないんだから、そこまでやらなくてもいい」と、自分で自分を甘やかしていたのかもしれない、とも思いました。
時間はかかりましたが、コツコツ向き合ってみたら、私の身体は、実際に動けたわけです。
自分自身で思っていた以上に。
先入観を持たずに、ただやってみれば、案外可能性があるのかもしれない…
心底向き合ってみたら、本当はそうでもないのかもしれない…
このことがあってから、私は自然にそんなふうに考えられるようになって、自分の身体の可能性を今まで以上に信じられるようになりました。
思い込みが解けると可能性が広がる
今までお伝えしてきたように、自分の身体に対して、「肩は凝るもの」「骨盤が後傾している」と頭から信じ込んでしまっていることがあります。
それは同じように、身体だけではなく、他のことについても、気付かないうちに「思い込んで」しまっていることもあるのではないでしょうか。
例えば、「性格が暗いから」「どうせ失敗する」とか、さらには「私はダメ」とか。
そして、それが勝手な「思い込み」と気付かないまま、いつしか自分のなかで「当たり前」になってしまっていて、知らずに自分の可能性を狭めている。
そうしたことも結構あるのでは。
けれども、自分の身体への思い込みが解かれると、他の部分の思い込みも解けていくような気がするのです。
治らないはずだった肩こりが軽くなったのですから。
しかも、自分の力で弛めることができたのです。
「あんなに頑固だった肩こりも実際、良くなったんだから、もしかしたら?」
「どうせ私はダメ」「どうせ失敗する」みたいな思いが浮かんできても、「案外そう思い込んでるだけかも?」と自然に考え方を切り替えられるようになるかもしれません。
実は「肩凝り」も「思い込み」も、もとは日々の生活のなかで、いつしか自分が作り出してしまったもの。
(赤ちゃんには肩凝りも思い込みもありませんよね。)
ですので、ちゃんと自分で変えていくことができるはずです。
「身体が動かない」という思い込みを手放すことができたように、「私は〇〇」という心の思い込みを手放すことだってできるかもしれません。
ヨガは、まず身体を整えることを通して、最終的に心を整える方向へと進んでいくのものですから。
からだはこころで、こころはからだ
また、東洋医学においても、「心身一如」という考え方があります。
これは、本来身体と心は一心同体で、お互いに複雑に作用し合っているために、心身の問題を切り離して考えることはできない。肩凝りなども、表面的な症状だけではなく、身体と心を一体として全身を観て、どこかバランスが崩れている箇所はないか、探っていくという方法です。
確かに、怪我や痛みがあって、身体を動かすのが辛いと、気持ち的にも落ち込んだりします。
また逆に、「動かすと痛いのでは?」という心の側での思い込みが、一層身体を緊張させ、自然な身体の動きを妨げている場合もあります。
つまり、
自由な心の動きが制限されると、身体も動かなくなる。
自由な身体の動きが制限されると、心も動かなくなる。
ということ。
身体の思い込みを手放すことは、心の思い込みを手放すことにつながります。
ヨガを通して身体への意識を高めていくことが、「生まれつき」という状況を乗り越えていく力になるかもしれません。