より自分らしく健やかに。完全マイペースでヨガを学んでみませんか?

Q&A

そもそもヨガって何?

私がヨガを始めたばかりの頃(かれこれ20年近く前ですが)と比べると、今では非常にヨガが身近になってきました。
当時はヨガをやっているのがまだ珍しかったですし、ちょっと「大丈夫?」みたいな印象を持たれたこともありました。(多分オウム真理教事件の影響もあったのでしょう。)
ところが、今でもヨガに対して本当に理解が進んでいるかというと、残念ながら疑問に感じてしまいます。

ヨガというと、ほどんどの方が「変わったポーズをやるもの」というイメージを持っておられるようです。
または、ストレッチとか、ピラティスとか、健康や美容のための体操のように思われていることが多いです。

でも、ヨガは単なるストレッチではありませんし、ピラティスとは全く別物です。

ここでは、「ヨガって一体何?」ということをご紹介していきます。
ただ、ヨガは計り知れない価値を持つ、とても奥深いもの。
おそらく私自身今後の人生にわたって「yogaとは何か?」を学び、考え、実践しつづけていくのでしょう。
ですので、ここでは今現在自分のなかで確認できたことをお話させていただきます。
そして、少しずつ、新たに感じられたこと、確認できたことについては、折々続々と発信していきます。

ヨガという言葉の意味

まず最初に、ヨガという言葉はサンスクリット語(古代インドで用いられた言語)です。
「つなぐ」「結ぶ」という意味があって、もともとは馬具の一種で、馬の口に含ませて荷車とつなぐための、主に金属製の棒状の道具のことを指していました。

これが転じて、心を身体を「つなぐ」「結ぶ」ことを意味するようになりました。
また、「心」という荒馬を乗りこなすために、馬の口に含ませる棒、つまり心を制御する道具という意味もあるようです。
このように、ヨガにという言葉は、心と身体を調和させるという意味を含んでいます。
つまり、ヨガは心身のバランスを整えていくツールという役割があります。

ヨガとは?

結論から申し上げますと、心身のバランスが整っている状態でいることは、人が自由で幸せに生きるための必須条件。
究極的には、ヨガとは、「自分自身を理解し、自由に幸せに生きるための知恵」です。

ヨガの歴史は非常に古く、約5000年以上昔の古代インダス文明時代に生まれたと考えられています。
モヘンジョ・ダロの遺跡から、ヨガの坐法で瞑想している人の姿が刻まれた印章が発掘されていますので、その時代にはすでにヨガが存在していたということです。

その当時からのいろいろな先人たちの「自由に幸せに生きる知恵」が集まって出来た集大成。
それがヨガなんです。

そのためヨガには「ヨーガ・スートラ」という経典や、祈りの言葉(マントラ)、哲学もあります。
さらに日々の過ごし方や人間関係のあり方について道徳的な戒律や教えもあります。
こんなふうに、いろいろな領域をカバーしているのがヨガなんです。

だから、「ヨガとは?」との質問に一言で答えることは難しいのです。

ただ、太古の昔から、人は自由に幸せに生きるために、ありとあらゆる方法を模索してきました。
今の私たちも同様です。
心のどこかで、自由に幸せになりたいと思って、日々、試行錯誤をしているはず。
そんな一人ひとりの知恵が蓄積されて出来上がったものがヨガと呼ばれているのです。


先ほどからお伝えしている通り、人が自由で幸せでいるためには、心身のバランスが取れていることが大切です。

心の中ではいろいろなイメージが湧いて、「あれもしたい、これもしたい」と思っているのに、身体がうまく動かないと、イライラしたりします。
一方で、身体は「動きたい」とサインを送っているのに、心に余裕が無くて身体に向き合えないと、どこかスッキリしない重だるい感じが続いたりします。
こういうことは普段の日常生活でも経験されているのではないでしょうか。

病気や痛みに苦しまないよう身体の調子を整え、目に見えない「心」を穏やかに、ある程度自分の意思でコントロールしていけるように。
そのための方法がヨガなのです。
なので、単なるエクササイズとは全く別物だということは明らかです。

修行としてのヨガ

もう少し話を勧めますと。
昔むかしのインドで生まれた元々のヨガは、現在のように、世間一般の普通の暮らしのなかで行われるものではありませんでした。
世間から離れた特別な修行用の環境(アーシュラムと呼ばれる寺院、道場など)で行われていたのです。

仏教の修行とも通じるものですが、「悟り」という目的を達するために。

悟るためには、当たり前ですけど…
まず、自分の心を整えて鍛えることが必要になってきます。

心を整え、鍛えていくために、その前段階として身体を整え、鍛えていくことから始めようと考え出されたのが、現在一般的に行われているヨガのルーツ(ハタ・ヨーガと呼ばれます)です。
筋トレやピラティスなどとは、そもそものルーツからして違うのです。


少々話が脱線しますが…
伝統的なヨガの学び方とは、多くはアーシュラムにいる先生の下に弟子入りして、生活を共にしながら、師匠と弟子というマンツーマンの関係のなかで、個別に教えられ、伝えられるというものだったのです。

修行のためではありますが、目に見えないもの、精神、心というとてもデリケートなものを扱っていくのですから、1対1のプライベートな関係に基づいて学んでいくのが、当然といえば、当然のことですが。

そして近現代になって、インドに西欧の文化が入るようになった後で、ヨガが欧米の人々に知られ、医学的・科学的に研究されるようになりました。
すると、修行目的で編み出されたヨガが、心身のストレス解消や健康増進にとても効果があるということが、実際の研究を通して証明されるようになってきました。

それに従って、アメリカやヨーロッパでは、一般の人々のなかで、ストレス改善や病気の予防のために、ヨガを学びたいという人が増えてきました。
その時に初めて、一度に、たくさんの人に効率よくヨガを教えられるように、現代のようなグループでのレッスンが考え出されたのです。

その結果、一般の人々が、普段の生活のなかで、ヨガを学べる機会が多くなり、今のように、誰でも気軽にヨガを練習することができる状況が整ってきたのです。
なので、伝統的には、ヨガはマンツーマン・レッスンが基本なんです。

日常のなかのヨガ

話を元に戻します。
ヨガの最終的な目的とは、自分と向き合い続けた先に、自分を理解すること。
そして、自分の本質、「自分とは何か?」に気づくこと。

私自身、ヨガを学んでいくなかで、「ヨガをやるということは、一体どういうことなんだろう?」と葛藤したこともあります。
それでも、毎日毎日飽きもせずヨガを練習してみると、いつもいつも、身体の感覚が違うということがよく分かるようになりました。
昨日と今日では、同じポーズを取っていても、感じ方がやはり違うのです。

身体は毎日、それどころか、一瞬一瞬変化する。
そのことを繰り返し繰り返し実感していきました。

さらに、身体の感覚がこのように違うということは、心の状態もやはり違うということです。
忙しくてイライラしている日もあれば、ゆったりのんびりしている日もある。
決していつもいつも同じではない。

身体も、心も、一瞬一瞬、変化していくもの。
ヨガを通して、そのことを身体に染み渡るように実感するようになって、私はいつの間にか「どうせ何をしても変わらない」という思い込みから自由になれたように思います。
良い時も、もちろん悪い時もあるのですが、どんな状況でも、必ず変化していく。
なので、身の回りで起こっていることに囚われすぎず、自分のペースでやれるようになってきた気がします。

ヨガの人間の本質についての教えは、頭だけで考えて理解するものではなくて、一歩ずつ、身体を通して落とし込み、日々の生活の泥臭さのなかからも学んでいくもの。
今ではそう思えるようになり、ヨガと出会う前に比べて、年を重ねるごとに、自由に生きやすくなっている自分に気づくことが多くなりました。

kazenone

kazenone

ヨガインストラクター・臨床心理士。 不器用な自分を認めて、ただシンプルに生きるのが信条。 ヨガの学びを通して、身体と心のつながりを実感する毎日。

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